2017年4月1日土曜日

ベストセラー作家 百田尚樹が次々と売れる本を書けるわけ?


百田尚樹の小説がベストセラーになるのは面白いから



出版不況で本が売れない時代に、そんなものどこ吹く風といったように、出す本がことごとくベストセラーになるのが百田尚樹という作家です。

永遠のぜロ、海賊と呼ばれた男、夢を売る男、など、いちいち本の題名を挙げるまでもなく、ここ数年間に出した本のほとんどが何十万部という売り上げを記録する大ベストセラーになっているのです。
 
ベストセラーと言っても又吉直樹(こちらもなおき)の「火花」のように話題だけが先行し、中身が伴わないものもありますが、百田尚樹の作品はテーマ,ストーリーともに優れていて読んで非常に面白いのです。

ベストセラーが続いているのも、この面白さによるものに違いありません。とはいえ、次々と絶え間なく出す作品が、なぜこれほど売れ続けるのでしょうか。
 
その答えは、ズバリ百田尚樹という作家に並々ならぬ才能があるからです。
 
言い換えれば百田尚樹は天才作家と言っても決して過言ではありません。本が売れるということは、読者を惹きつけることができるからです。何が読者を引き付けるのか、というと、いうまでもなく作品のおもしろさです。



百田尚樹はなぜ面白い本を書き続けることができるのか



では百田尚樹氏はなぜ面白い本ばかり書き続けることが出来るのでしょうか。それは彼が卓越した文章センスを持っているからです。
 
文章センス、これはよく聞くことばですが、いったいどんなことを意味するのでしょうか。文章が上手なこと、文章をたくさん書けること、文章を速く書けること、などいろいろあるでしょうが、これらだけでは的を得ているとは言えません。
 
もう一つ大事なものを付け加えなければいけませんが、それは「読者を惹きつける文章が書けるること」ではないでしょうか。

いかに上手にたくさんの文章を速く書けても、読む人をしっかり惹きつけなければ、継続した読者を獲得することはできません。そうなると出す作品がことごとくベストセラーになることはありません。
 
百田尚樹氏の出す本がベストセラーを続けているのは、この作家に卓越した読者を引き付ける力があるからです。惹きつける力というのはいうのはたやすいことですが、実際に読者を惹きつけることは簡単にできることではありません。前述したように、読者を惹きつけるためにもっとも大切なのは内容のおもしろさです。「おもしろさ」これもまた簡単に作れるものではありません。読者が面白いと感じるのは、「なるほどなあ」と納得できる説得力であったり、ハッとさせられるような新鮮な言葉遣いであったり、また、「こんなこともあったのか」と思わせるような、な満足感などで、読者はこれらをトータルしておもしろさを測るのです。これらの点からみて、百田尚樹氏の作品のほとんどが読者のおもしろさの尺度を満足させてくれるのです。特に説得力という点は抜群で、どこを読んでも、おもわず「なるほどなあ」とうなづいてしまうほどです。説得力とはすなわち人を惹きつける力です。この作家こそ、まさに人を惹きつける天才なのです。

これほどの説得力を持ち合わせていれば、この人は作家以外のどんな道へ進んでも大成功を収めることができる人に違いありません。



百田直樹は人を惹きつける天才



このブログを書く前に、氏の作品の一つ「夢を売る男」を読みました。この作品はジョイントプレスという方法で、素人が書いた本を世に出す三流出版社の編集長を主人公にしたものです。三流出版社と言え、この編集長の辣腕ぶりにはすっかり感心してしまいます。編集長とはいえ、本の編集力だけでなく、営業力も抜群で、客のことごとくを説得して大金のかかる本の出版に同意させます。また次々に降りかかってくる客からのクレームを見事に片づけてしまいますが、そのスマートさはほれぼれするぐらいです。これこそが読者を惹きつける力なのです。

百田尚樹という人は、天才作家という前に、人を惹きつける天才といったほうがふさわしいかもしれません。これこそが次々とベストセラー小説を書き続けることができる真の理由なのではないでしょうか。




2017年3月21日火曜日

「やればできる子」・ できない子と親にとっては魔法の言葉か?

YDK=やればできる子

テレビのCMでもよく聞く、YDkとも呼ばれる「やればできる子」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

これについて、今をときめくベストセラー作家、百田尚樹氏が自著「大放言」という本の中で面白いことを言っています。

それは、学校の成績が悪いにもかかわらず、そのことを少しも自覚せずに、「自分はやればできる子だから心配しなくてもいい」と思っている子どもが非常に多いというのです。

「やればできる子」 は実によくできていて、聞いても、口に出しても、すごく語感の良い言葉です。

それ故に子どもたちが受け入れやすいのか、誰も彼もが、自分のことを「やればできる子」と思っているというのです。

百田氏は、こうした子どもたちを「やればできると思っているバカ」と切り捨てていますが、大胆にこう言い切れるのが彼の凄いところです。

とはいえ、これを聞いて同感と思う人は多いのではないでしょうか。

百田氏が言うには、やればできる子は、子どもだけでなく、親もそう思っている人が多いそうです。

そうなるのも、この言葉が教師にとって非常に都合がよく、成績が悪い生徒と、その親を落胆させず、逆に励ます力を持っているからです。

つまり、教師は生徒と親を前にして「がんばれよ、君はやればできる子なのだから」と言い、それを聞いた生徒と親は、何の疑いもなく、その気になってしまうのです。


この落ちには笑わせられた

なお、この話には落ちがあり、これが実に面白いのです。

何が面白いかと言えば 「やればできる子」 という言葉を信じ続けるには、間違っても、実際にやろうとしないことです。と真理を突いていることです。

どうですか?おもしろい話でしょう。

「やればできる子」 この言葉はできない子と親にとっては、まるで魔法の言葉のようではありませんか。

2017年3月18日土曜日

嘆かわしい日本の高校生 ・ 日本の高校生には褒めるところがないのか?



マイナス面ばかりが目立つ日本の高校生

これまでインターネットのサイトで日本の高校生に関するいろいろな記事を読んできました。

しかしそれらの記事には彼らを褒めるものはまったくと言っていいほどなく、ほどんどがマイナス面ばかりを指摘するものでした。

具体的に挙げると、例えば日本の高校生を米国、中国、韓国の高校生と比較して

・パソコン力が劣っている
・中国、韓国の生徒より英語力が弱い
・授業での発表が少ない
・授業中に居眠りをする生徒が多い

などのような、調査結果が出ています。


日本の高校生は受け身で消極的

さて、過去の記事はさておき、ごく最近も朝日新聞に次のような記事が載っていました。

記事のタイトルは「日本の高校生は受け身で消極的」というもので、「国立青少年教育振興機構」というところが、米国、中国、韓国、日本の4か国の同校生について

学校の勉強に対する問題意識
学校で教わったことに対する応用力
学校以外での普段の学習時間

などを調査したものです。

その結果、①が米中に次いで3位であったのを除いて、②および③とも、4か国で最下位でした。

この結果から見れば日本の高校生は

・学んだことに対する問題意識が弱く

・せっかく学んだ知識を応用することができず

・学校以外の普段の勉強と言えば、テスト前の暗記学習だけで、自発的な研究学習はほとんどしない

というのが実情です。

でもなぜなのでしょう? 小学校、中学校と義務教育を終えて入る高校は、学習内容も充実していて、勉強にやりがいを感じ、次第に興味が湧いてくる時期のはずです。

すべての科目とは言いませんが、一部の科目に対しては強い興味がわいてきてもおかしくありません。

それ故に、日本に比べて米国、中国の生徒の学校以外での学習時間が長くなっているのではないでしょうか。

これに反して日本の生徒は学校以外での学習時間が少なく、この点から見ても、好きな科目に対する積極的アプローチが見受けられません。

三つの項目すべてで日本より上位だった米国と中国の生徒は、勉強に対する問題意識が高く、①の結果は中国が52.7%、米国が34.5%となっていて、日本の12.3%をはるかに上回っているのです。

また②の教わったことに対する応用力でも、日本が3.75であるのに対して、米国が45.8%、中国が25.9%、韓国10.4%と参加国とも日本を凌いでいます。

これに加えて③の学校以外の普段の学習時間も、日本が最下位とくれば、我が国の高校生にはまるで良いところがありません。

こうした結果を見て、当事者である生徒はどのように思っているのでしょうか。

生徒だけではありません。教える側の教師にしても、こうした現実を目の当たりにして、はたして改善のための取り組みはあるのでしょうか。

米国はまだしも、同じアジアの中国や韓国の高校生に負けていることに対して恥ずかしくないのでしょうか。

このところ「世界の大学ランキング」と銘打った、大学の格付けが注目を浴びていますが、数年前からのランキングの推移を見ていますと、アジアの大学の中でも、東京大学や京都大学の順位は次第に下がってきて、逆に中国や韓国の大学は少しづつ上がってきています。

これは今回の記事にあるように、中国や韓国に比べて日本の高校生のレベルが低いことと因果関係があるのでないでしょうか。

高校生及び高校教師の皆さんは、こうした現状から目をそらさず、事実として深く認識しなければいけません。

以下は朝日新聞の記事です。


           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


日本の高校生は受け身で消極的? 日米中韓4カ国調査
  (朝日新聞電子版)  2017313

日本の高校生は米国、中国、韓国の高校生より勉強に対する姿勢が受け身で、上昇志向も弱い――。国立青少年教育振興機構が13日に発表した調査結果から、こんな傾向がわかった。専門家からは、日本の高校での授業に関係があるとの指摘がある。

調査は昨年9~11月、4カ国の高校生を対象に、勉強のやり方や学校生活などについて質問。計7854人から有効回答を得た。

 勉強の仕方について聞いたところ(複数回答)、「問題意識を持ち、聞いたり調べたりする」で日本は12・3%となり、韓国の10・4%を上回ったものの、米国の34・5%、中国の52・7%に比べると大幅に低かった。

また、「教わったことをほかの方法でもやってみる」は日本が7・5%だったのに対し、米45・8%、中国25・9%、韓国10・4%だった。「授業中、積極的に発言する」でも日本は3・7%にとどまり、4カ国中最も低かった。

 勉強時間でも「平日に学校の授業と宿題以外にどのくらい勉強するか(塾なども含む)」について、「しない」と答えたのは、日本が24・2%で4カ国で最も高かった。「試験前にまとめて勉強する」は69・3%に上り、「一夜漬け」の多さもうかがえる。





2017年3月15日水曜日

トランプ大統領は典型的な ”オレ様(傲慢)症候群” ・ サイコパスとも言われているが


トランプ大統領が嫌われるのは傲慢症候群だから

アメリカの大統領が変わって2ヶ月が過ぎましたが、新大統領トランプ氏の支持率は、当事国アメリカでは50%程度です。

では日本での支持がどれぐらいかと言えば、おそらくアメリカよりうんと低くて、せいぜい20%が良いところではないでしょうか。

20%でも高すぎると思う方がいるかもしれませんが、これは男女平均のもので、女性だけをとってみると、おそらく15%にも達しないでしょう。

なぜ女性の支持がそれほど低いかと言いますと、トランプ大統領には日本女性が嫌う点を多く持っているからです。それが何かといいますと、

例えば、

・高慢なところ
・冷たいところ
・自慢ばかりするところ
・自分勝手なところ

などです。

日本の女性はこうした点を持つ男性を極端に嫌いますが、残念ながらトランプ大統領にはこれらすべて揃っているのです。

その上、文言春秋3月号には「トランプはサイコパスである」という記事が載っていました。サイコパスとは精神病質者のことです。

記事によれば、彼は性格に精神病的なものを持っているということです。

それだけではありません。サイコパスのような病的なものではありませんが、トランプ氏は「傲慢症候群」という特異な性格の持ち主でもあるのです。

傲慢症候群は別名「オレ様症候群」とも言われますが、名前が示す通り、何かにつけて自分が中心にならないと気がすまず、人や社会に対して傲慢さをむき出しにする性格です。

これに関しては精神科医 片田珠美氏の書いた「オレ様化する人たち」という本がありますが、この本によりますと、傲慢症候群にかかった人には次のような行動をとることが多いようです。

その行動とは

人の話を聞かない
顧客、従業員、投資家、消費者団体、行政のいうことを聞かなくなる。外の世界に耳を傾けない。人の話を無視する、笑い飛ばす。すべて知っていることだと思い込んでいる。
自らを誇示する
豪華な社員旅行、快適なオフィス空間、気前のいい役得、贅沢な保養所。会社の専用ジェット機や美術品のコレクションを見せびらかしたがる。(後略)
人を威嚇する
従業員、顧客、投資家を脅すよう経営陣に奨励し、報酬まで出す。アナリストが会社に不利なレポートを出してきたら、その上司にかけ合って、叱責か懲戒処分を与えることを考える。(後略)
横暴になる
ガバナンスなどうちには関係ない、誰も我々の事業を規制はおろか問題視さえできないと思っているので、ルールや手順を守らない。
同意ばかり求める
コンサルタントやアドバイザーを招いて、現状の正当性を確認し、自尊心をあおる。その一方で、供給業者や顧客だけでなく従業員でさえも、批判的な者は切り捨てる。広告代理店や調査会社の提案する戦略が気に入らない場合は、別の業者に切り替える。
自社開発主義(自前主義)症候群
現実否認の会社と同様、「自社開発でない」ものはよいわけがないと信じている。
などの6点です。
どうですか?これを見て、これらほとんどがトランプ氏に当てはまるのでは、とは思いませんか。 
一人づつアンケートをとるまでもなく、ほとんどの女性をはじめ、多くの人が「その通り」と答えるに違いありません。
それもそのはずです。上の6項目は女性が最も忌み嫌う点だからです。 
したがって上の項目のほとんどを持ち合わせているトランプ氏が嫌われるのは当然のことなのです。
でもこの「傲慢症候群」に取りつかれているのはトランプ大統領だけではありません。 
実は日本の安倍首相も同類である、といういう人が少なくないのです。
これを聞いて「なるほど!」とうなずく人は多いのではないでしょうか。
なぜならトランプ大統領自身が「安倍首相とはよく気が合う」と言っているように、二人の相性は抜群に良いからです。 
つまり二人は似た者同士?なのです。
日米という、お互いの国を背負っている二人の代表者が「傲慢症候群」にかかっているとは、困ったことではありませんか。
 

2017年3月10日金曜日

中国人は4年に1冊しか本を読まない、というのは本当なのか?



1年間の読書量・中国人が0.25冊で、日本人が15冊とあったが?


雑誌に「中国人は年に0.25冊しか本を読まない」と書いていました。

これを見て、あまりにも少ない数字なので最初は、単位は年間ではなく月間ではないかと思ったぐらいです。

でもどうやら年間で間違いなさそうでした。

それにしても、年に0.25冊とは、異常に少ないようですが、数字が小さすぎて実際の量としてすぐにはイメージできません。

それを分かりやすくするために、換算して4年に1冊とすることにしました。

その結果、この記事のタイトルが「中国人は4年に1冊しか本を読まない」になったのです。

それにしても4年に1冊とは少なすぎるではないですか。

というよりむしろゼロに近いとも思えますので、「4年に1冊しか本を読まない」というより、むしろ「中国人はまったく本を読まない」と言った方が適切かもしれません。

でも本当なのでしょうか。

日本人は孟子や孔子など古典から中国に多くのことを学んできています。

こういう偉大な思想家が出た中国なのに、今の中国人がこれほど本を読まないとは俄かには信じられません。

それに人の読書量を測ることは非常に難しいため、それを示す統計資料などが非常に少ない上に、あったとしても安易に信じることはできません。

現に今回の記事でも、中国人が0.25冊とあった後、日本人は15冊となっていました。

もしこれが本当なら、日本人は中国人の60倍も読んでいることになりますから、こちらの方も疑わしいものです。


個人の読書量を測るのは非常に難しい

人の読書量を測るのが難しいことはネットの検索をしてみればよく分かります。

ちなみに「読書量国際比較」として検索してみると、出てくる情報量の少なさに驚かされます。

こんな結果になるのも測定するのが難しいからです。

それに出てきた情報にも信憑性が乏しく疑わしいものが少なくありません。

たとえば韓国の朝鮮日報がまとめた「国別読書時間ランキング」などは、一般的に本を読む人が少ないと思われるインドなど文盲率が高い国が上位にランクされていて、逆にそれが低い日本は最下位あたりになっているのです。

文盲率が高い国で読書率が高く、逆に、それに低い国の読書率が低いことなど、とうてい納得することはできません。

したがってこの統計もまったく信用できないのです。

このようにいかに統計データがインターネットに整備された現代だとはいえ、こと国民の読書量を測ることは容易にはできないのではないでしょうか。

したがって今回の雑誌に出ていた、中国人の読書量が年0.25冊というのも、素直に信じることはできないのです。

ちなみにこの数字が出ていた雑誌は、記事の信頼性が比較的高いとされる文芸春秋なのですが・・・。

2017年3月6日月曜日

芥川賞「しんせかい」は「コンビニ人間」ほどではないが、大ベストセラー「火花」よりは優れている 



火花が大ベストセラーになったのは作品の力ではない

昨年の又吉直樹著「火花」が280万冊という爆発的な売り上げを記録してから、おそらく芥川賞がよく分からなくなったと考える人は多いはずです。

なぜなら、一般的な意見として「おもしろくなくてつまらない」と評された作品がなぜか、賞を取り、その後爆発的な売り上げを記録したことに多くの人が疑問を抱いているからです。

つまり「火花」が芥川賞になったのも、爆発的売り上げを記録したのも、すべて著者が所属している吉本興行と、出版者である文芸春秋が仕組んだことで

小説の価値が優れていたからではない、と多くの人がうすうす感づいているからです。

それ故に作家登竜門である名門「芥川賞」に疑念を抱く人が増えているのです。

火花の次の芥川賞は村田紗耶香さんの「コンビニ人間でした。

この作品は「火花」よりはるかに高い評価を受け、読んだ人のことごとくが、おもしろくて価値ある作品で読みごたえがあったと評価しています。

では売り上げはどうかというと、最近になってやっと50万部を超えたところで、火花には遠く及びません。

でも50万部売れたら大成功で、作家としては胸を張って大いばりできます。

そもそも前回の火花の280万部が異常なのであって、前述のように、作品の優劣評価という点では参考にすることはできません。


前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、以上のことを頭に入れて今回の芥川賞作品「しんせかい」を読んでみました。

結論から言うと、面白さで言えば、コンビニ人間ほどではありませんが、火花よりはよほどましでした。


独断と偏見による芥川賞評価ポイント

とはいえ、芥川賞は直木賞のようにエンタテイメント性ばかりで評価できないところがありますので、おもしろさだけでなく、次の点も考慮に入れて評価してみました。

それは

・琴線に触れるような心打たれる文章は多いか?

・展開に意外性はあるか?

・作者の人間性に共感、感銘できるか?

3点です。

まず琴線に触れる文章ですが、人は芥川賞作品のような優れた小説を読む際には、なんらかの感動を期待します。

そうした感動を与えてくれるのは琴線に触れるようなすばらしい文章です。

しんせかいにはそうした文章が少なからずある上に、全編を通してウィットとペーソスが満ちており、琴線に触れる、ということに関しては合格です。

次は展開に意外性があるか、という点ですが、一般的に小説を読む際には、読み手側の意に反して、ストーリーが思いがけない方向に進むと、ハッとさせられ、それに刺激を与えられます。

人は刺激を求める動物ですから、そうした小説には好感を持ちます。

しんせかいにはこの意外性が全編を通して見られます。それが読者をハラハラさせて興味をつながせるのです。

最後の作者の人間性です。前で全編がウィットに満ちている、と書きましたが、この作者はユーモアセンスの持ち主です。

ボソッと言った一言にも、どことなく面白さを漂わしているような根っからのユーモアセンスの持ち主です。それが読む人を引きつけるのです。

それだけでなく、この作者は反骨精神も持ち合わせていて、権威に対して安易に迎合したりしません。

それをよく表しているのは、この作品の重要人物である「先生」にあえて逆らう姿勢を示していることです。このことも読者の好感を呼びます。


といういうことで、作者の人間性も十分に伝わってきました。

以上のような評価になり、総合的に判断しても、「しんせかい」は小説として読みごたえがあり、芥川賞にふさわしい作品である、と認めることにしました。

2017年3月5日日曜日

DeNAまとめサイト問題は起こるべきして起きた(その2) ・ そもそもの原因はリライト記事にあるのではないか?

まとめ記事は誰が書いているのか?

ここ数年の間にまとめサイトと呼ばれるウェブサイトが飛ぶ鳥落とすようなすごい勢いで増えてきました。

増えた理由はいろいろあるでしょうが、その最たるものはトレンディーな情報が

コンパクトにまとめられていて使い勝手が良いことではないでしょうか。

それゆえに読者はスピーディー、かつ効率よく価値ある?最新情報を手にすることができるのです。

まとめサイトを一言で言えば「ジャンル別情報早わかり記事集」ということができます。

ではサイト運営者はこうした記事をどこから、どのようにして調達しているのでしょううか。

何しろ毎日の更新に充てる量は半端ではないだけに自社ライターだけで執筆するには無理があることは明らかです。

ではどうしているかといえば、最近ネット業界で活躍が目立ってきたクラウドソーシング系の記事作成代行会社に記事の制作を依頼しているのです。

こうした依頼を受けた会社は早速ネットを通じて記事執筆のライター募集にかかります。


信じられないほど安いライターの報酬

ここまでは良いのですが、問題はその募集条件である執筆料(原稿料)の価格です。

おそらくこれを聞けば原稿料に対して何の知識もない人でさえ驚くのではないでしょうか。

なぜならその額は1文字が0.3円程度のものが多く、1000文字書いても300円にしかならないような低さなのです。

1000文字で300円、これがいかに安いかを知るには、1000文字の原稿を書くのにどれくらい時間がかかるかを知ればすぐわかります。

その時間とは30分ぐらいでしょうか。それとも1時間、あるいはそれ以上?

仮に30分とすると、時間給換算で600円、1時間なら300円となります。

所要時間はタイピングスピードや知識量によって個人差が大きいと思われますので、仮に平均をとって45分にしてみますと、時間給は450円になります。

なんとこれは東京都の最低賃金の半分です。

そうなのです。今をときめくネットビジネスのまとめ記事を書くライターの時間給がわずか450円でしかないのです。これでは、まるでブラック企業顔負けの低賃金ではありませんか。

いま評判のまとめサイトの記事はこれほど低賃金によって生み出されているのです。

この執筆料の安さこそが、記事の品質(クオリティー)に大きく関わってくるのです。

いかにライターの仕事が在宅でできて経費が掛からないとはいえ、少なくとも記事の執筆といえば知的でクリエイティブな仕事です。

書き手にはプライドもあって、できることなら仕事にふさわしいリーズナブルな報酬を期待します。

それ故に、たとえ理由あって安いことを承知で仕事を受けたとしても、これほど低い料金では執筆に対するモチベーションが上がりません。

かくしてオリジナル性の乏しいコピペまがいのクオリティーの伴わないリライト記事の粗製乱造となるのです。

おそらく今ネット上に氾濫しているまとめサイトの記事の圧倒的多数がこの種のものではないでしょうか。

つまり、記事作成のプロセスは、まず書籍やネットで関連記事を探してテーマに近いものを選び、それを土台にして文章の順番を替えたり、書き出しや文末の文章の一部を書き換えただけのリライト記事なのです。

これだと記事のネタ選びや文章制作ににそれほど頭を使わなくてもすみますから、たとえ1時間450円程度の低賃金でも「まあいいか」と、妥協するライターも少なくないのです。

一般的に、ライターといえばオリジナル記事を書く人のことを言います。とすれば時間給450円程度で記事を書く人はライターとは呼べません。

そうなのです。これまでのまとめサイトの記事の多くは、ライターと呼べない人たちの手によって書かれたものなのです。

今回のDeNAの問題もそれゆえに起こったことなのです。

要するにライターと呼べない未熟な書き手によって、安かろう悪かろうの大量の記事がまとめサイトに掲載された結果起ったことなのです。


ネットはエセライターをつくりすぎた

そもそも、ものを書くということは知的でクリエーティブなことで、誰でもできることではなく、文才という言葉があるように、ある種の才能を必要とします。

ところがインターネットの出現で膨大な数のウェブサイトが現れ、各々が自分のサイトを埋めるため大量のコンテンツが必要になり、そのためそれを作成するライターを求めるようになったのです。

とはいえ、才能ある優秀なライターには数に限りがあり、いつでもすぐに調達することは困難です,

でもサイトの方はアクセスを上げようと思えば待ったなしでコンテンツを増やしたり、古い記事は新しく更新しなければいけません。

それゆえにサイト運営者は無理をするのです。つまり、記事を増やしたり更新したいがために、クオリティを犠牲にしてしまうのです。

かくして登場するのが時間給450円の格安ライターなのです。

DeNAの問題が起こったのは、そうしたライターによるよって作られた記事の低品質が露呈したのです。


かくしてオリジナリティのないリライト記事が蔓延した

DeNAに限らず、ネット上の多くにライター募集広告を見ていると、驚くほど低報酬のものがよく目に入ります。

前述のような時間給450円はおろか、200~300円程度のものさえそれほど珍しくはないのです。

こうした超低賃金を目の当たりにして思うのは、「いったいこの募集者は、これほど安い賃金で、どれほどの記事を期待しているのだろう」ということです。

またそれ以前に、「いったいモノを書く仕事が、どんなことであるのか理解しているのだろうか?」とも感じます。

これほど安い報酬で募集をかけるのは、おそらく、モノを書くことがそれほど難しいことではない、と考えているのに違いありません。

また、今の世の中にライター志願者は多く、いかに報酬が安くても飛びついてくる人はいくらでもいる、と思っているのです。

でもこうした考えはいずれも間違っています。

まず、モノを書くことは難しいことではない、という考えですが、おそらくこの募集者は自分自身がモノを書く経験があまりない人ではないでしょうか。もし書くとしても、オリジナリティの乏しいコピペまがいのリライト記事程度なのだと思われます。

リライト記事の場合はテーマも中身の文章も自分で生み出す必要はなく、既に存在するものを、文脈を入れ替えたり、文頭や文末を少し書き換えるだけのものです。

したがって困難な生みの苦労を伴いませんから、比較的楽にできるのです。それゆえに、モノを書くのは難しいことではない、というような大きな勘違いをしてしまうのです。


雑誌系ライターウェブライターの報酬の格差を縮めないといけない

これまで述べてきたように、まとめ記事サイトなどのウェブサイトの記事の執筆を担当するライターの報酬が異常に安いのは、ネット上のコンテンツにリライトという概念が幅を利かせすようになったからです。

少なくともインターネットのウェブサイトが登場する前まではライターといえば、主に活字媒体である雑誌等が活躍の場でした。

この場合、ライターとしての報酬は、いわゆる物書きとして標準的なもので、ウェブライターのように人に言うのが恥ずかしいような額ではありませんでした。

それゆえにライターと聞けば、人々から尊敬のまなざしで見られたものです。

でも、今から思えば、それが当たり前のことであり、職業的にもそう見られるのがふさわしいのです。

ところが、インターネットの発達とともに、大量のウェブサイトが出現し、ライターの地位はどんどん下がっていき、前述のように今では時間給換算で450円という、人にも言えないような低賃金がさほど珍しくなくなっているのです。

それをよく表しているのは、昨今になって、いわゆる「自称ライター」がゴマンと誕生していることです。

こうした人たちがウェブサイトに劣悪なコンテンツをばらまいているのです。

これはライターという職業を貶めているだけでなく、ウェブサイトそのものの価値をも下げ、強いてはウェブサイトから人々を遠ざけてしまうことにつながるのです。

こうした悪い状況から脱するためには、まずコピペまがいのお粗末なリライト記事しか書けないようなライターを一掃することです。

ではどのようにして一掃するかといえば、ますウェブサイトからリライトという概念を捨ててしまうことです。そしてライター募集に際しては、何が何でもオリジナリティとクオリティを優先して、審査をできるだけ厳しくするのです。

そして厳しい審査を通過したものだけを採用し、それに雑誌ライター並みの報酬を支払うのです。

そうするとライターはプライドを取り戻し、モチベーションが上がりますから生産性も向上します。

それだけでなく、これまで劣悪なウェブライターによってとことんまで落とされたライターの地位を、元のような正常な姿へと戻すことができるのです。