2010年7月6日火曜日

「見た目年齢」へのこだわり

「年齢詐称」という言葉があるが、似たようなものに「学歴詐称」という言葉もあるせいか、単に年齢をサバを読んで公表するだけのことを意味するにしては、言葉自体の響きが重く、これを使うだけで

その対象者はすでに「犯罪者」と見なされるような厳しい響きを持っており、なにか大仰でどちらかと言えばなじみにくい言葉である。

一時外国のスポーツ選手がこれで話題になったが、こうした出場資格取得のための詐称はもちろん悪いことであり、時としては犯罪性もあるに違いない。

でもこの年齢詐称という言葉、その多くの場合で自分の年齢を実年齢より若く公表することに対して使われているようで、芸能人などのいわゆる「見せる」ことを商売にする世界ではそれほど珍しいことでもないようである。

若さが仕事に有利な条件となるこうした世界では、そうしたことがありがちなのは、ある意味では当然で、人情的にも許せる行為であり、このことを強く批判したり、また犯罪性のあることとしてとり上げるのもどうかと思う。
 
芸能人に限らず、人間誰しも歳をとるに従って若さへの願望は強くなるのは自然なことで、いわゆる「見た目年齢」へのこだわりが次第に出てくるものだ。

こうしたこだわりを強くもつ人ほど、実際に見た目年齢が実年齢に比べて若く、一般的な同年齢者と比べて、心身ともにハツラツとしていることが多いものだ。

このことはつまり「見た目年齢へのこだわり」は若さへの強い願望であり、また若さを維持する為の強力なモチベーションともなっているからなのであり、巷で生涯現役ということが次第に強く叫ばれてきている昨今にあっては、こうしたこだわりはむしろ貴重なことであり

他人に迷惑がかからない範囲で年齢を若く公表することは推奨されてもいいぐらいで、何も声高に批判する必要は少しもないのではあるまいか。

何を隠そう、当年68歳の私自身最近では10歳若く年齢を公表することが多いのである。

こうした時の私は決して「年齢詐称」などと言う言葉は意識せず、自分のことを「実年齢否定主義者」とでもいうふうに思っているのである。

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