2010年11月29日月曜日

Are you still smoking?・まだ「タバコ」なんか吸ってるの?

「まだタバコなんか吸っているのですか?」

私は街行く人、酒場で飲んでいる人、職場の人、そうした人々の中でタバコを吸っている人を見かけるたびにいつも心の中で相手に向かってそう呟いている。

そして、その呟きはさらに続く。

「いまだにタバコ吸ってて、職場でも家庭でも肩身狭くないですか?」

「今回の値上げでもまだ止められなかったのですか?」

「タバコ吸いの人なんて、今の世の中ではチョウ遅れている存在であるってこと、お気づきなんですか?」

などなどと毒舌を浴びせるのである。

もし声を出して言って、相手に聞かれたらひと悶着起るのは必至だが、でも私としてはこれぐらいのささやかな抵抗でもしておかなければ気がすまないのである。

喫煙者の姿で最もマナーが悪いと思われるのはなんと言っても歩行喫煙である。

私が通勤する区間のJR姫路駅と神戸元町駅周辺はいずれも歩行禁煙禁止地域にしてされていて、違反すると千円の罰金がかかることになっている。

したがっていずれも駅の前には大きな灰皿を据えつけた喫煙コーナーが設けられている。

そこに集まって喫煙している人々の姿をしばしば目にするが、なんとなくマイナー集団のようで見えてなにか哀れな気持さえ感じるのである。

次に職場の喫煙コーナーでタバコを吸う人だが、これはもう間違いなくマイナー族である。

まず喫煙所の場所が狭くて居心地は良くない。

たいていは廊下の隅などにお義理程度の小さいスペースに設置されていて、しかもドアとかはなく衆目にさらされるような構造で、まるでさっさと吸って早く職場に戻れととでもう言うかのように、いまや会社などでも至って喫煙環境はよくないのである。

まるで「いつまでもタバコなんか吸ってては、昇進などはおぼつかないよ」とでも言われているようでもある。

次に酒場などで喫煙するケースだが、流石に勤労を終えたサラリーマンがストレスを解消するための代表的な場所だけに、今はまだ多くの酒場が大っぴらに喫煙を許している状態である。

しかしここでもゆっくりではあるが禁煙が進んでいるのである。

私がよく利用するJR姫路駅前近くの立ち飲みバーでは、もう随分前から禁煙を実施しており、ノースモーカーの私はそれが好きでよく立ち寄っているのだが、勇気をもってそれを実施した店の経営者には尊敬の念がわく。

食堂などだといざ知らず、酒を売る場所での禁煙は難しいと思う。

いいことだと思っても売上を考えればほとんどの場合は尻すぼみに終わってしまうのが実情ではないだろうか。でもここの経営者はそうでなく勇気のある人だ。

最近リニューアルされたその店だが、別に禁煙がネックになっているような様子もなく、客入りはよく、店は毎日活況を呈しているようである。

最後は家庭での喫煙だが、これはもう今や「ホタル族」を通り越して、タバコ嫌いな奥さんだと離婚問題に発展することは必至である。

喫煙者の皆さん「タバコをやめるほど意志は弱くない」などと馬鹿なことを言っていまだにタバコなんか吸ってては、人から軽蔑され、軽く見られるだけですよ!!

2010年11月26日金曜日

「人気ブログ」?も楽じゃない・「トラックバックスパム」にやられてしまった

まず、「トラックバックスパム」とはいったいなんだろう。

「IT用語辞典」で検索してみると次のような説明がある。

「著名なブログに記事とは無関係な内容のトラックバックを送信し、自分のブログに読者を誘導すること。迷惑な広告トラックバック。

ブログの機能の一つに、記事中で言及した別のブログの記事にリンクを貼ったことを通知し、その記事にリンク元の記事への逆リンクを自動的に掲載するトラックバック機能がある。

これは基本的には誰でも自由に使えるため、ブログ形式で自社サイトを運営する業者や、自己顕示欲の強い個人のブログオーナーが、読者の多い著名なブログに広告目的でトラックバックを送ることがある。これがトラックバックスパムである」

                                インターネット「IT用語解説」より


実は最近わたしのブログに突然この「トラックバックスパム」というものがついてしまい、驚くと同時に大いに困惑しているのである。

上の解説では「著名なブログ」と言っているが、私のブログがそう言われるのはいささか面はゆい。

それは別にして、実際はたいへん迷惑なことなのである。

では今回の例について述べてみる。

対象になったのは11月5日掲載の「危険率1対15日本とアメリカの警察官の給料3対2の現実」という記事であった。

この記事を載せた私の意図は、危険率で大きな差がある日米の警察官についての「給料のアンバランス」に焦点を当てるということであって、別に日本の公務員の高給そのものを批判する目的はなかったのである。

しかし「トラックバックスパム」をつけた相手の記事は内容的には「正鵠を得た記事」ではあるが、「徹底的」に公務員の好待遇を批判する厳しい内容のものであった。

私の記事の意図するものとは大いに違い、これでは私のブログを読む人に誤解を与えかねない。

なんとか事情を説明して釈明しておかなければならない。

そう思って書いているのが今回のこのブログなのである。

そもそも私自身も最近まで「トラックバックスパム」のことについては知識がなかったのである。

それが最近読んだ「山本一郎」という方が書いたブログの話題に関する本にこれについてこのことが書かれていたのである。

偶然とはいえ実にタイミングのいいことであった。

それを読んだとき、私は「あっ、あのことだ」と思ったのだ。

実は最近私のブログ紹介欄の近くに「私のブログURL名」のついたまったく関係のない他人のブログが載っているのだが、そのこととの関連性について気がついたのである。

はじめその「私のブログのURL」がついた他人のブログを見たときは「いったいこれは何だ」とすごく驚いたのものだが、その本を読んでからようやく事情がわかってきた。

その後「IT用語辞典」でも調べてみた。

そしてやっとそれについての正確な意味を知ったわけなのである。

それにしても迷惑な話である。

人気ブログと認められたことは嬉しいが、こんなことが起るなど夢にも予想もしていなかったのである。

これも一種の有名税?なのであろうか。

とにかくほっておけないので目下その対策について、あれこれ模索している次第である。

2010年11月24日水曜日

「小説新人賞」・かくも冷酷で厳しい世界


そもそもこのタイトルでブログを書こうと思ったのは、最近、五木寛之著「僕が出会った作家と作品」という本を読んだからである。

この本はここ40年間ぐらいにわたっての「直木賞」をはじめ、名だたる「文学新人賞」を受けた作者紹介と、その作品の選評集なのである。

その中には「小説現代」「小説すばる」の歴代の新人賞受賞者名も載っており、これには載っていない


「オール読物」を含めて、メジャーといわれる三賞すべてに過去において応募した経験のある私としては、40代終りからから50代はじめのその当時のことが懐かしく思い出され、本日のブログタイトルにしたわけなのである。

これらのメジャーな出版社による新人賞の審査員といえば、今をときめく実力派の有名作家ばかりである。

でも、皆さんはご存知だろうか。

そうした審査員が実際に目を通すのは「最終予選」を通過した僅か数点の作品だけだということを。

それもそうだろう。

これらのメジャーな文学賞には毎回一千点を超える作品が応募されてくるのだから、それらの多くの作品を僅か数人の審査員が目を通すということは物理的にもとうてい不可能なのである。

では一体誰が予選段階での作品を読んで審査するのであろうか。

それは「下読みさん」と呼ばれる主にフリーの編集者・評論家・ライター、といった業界の人間を主力にする、いわゆる「下読みのプロ」が担当しているのである。

それらの人による下読みで1次予選・2次予選・3次予選と上がっていき、そして最終候補作品数点が選ばれるわけなのである。

その数点のみが審査員の作家によって読まれ、審査員間で協議され、最終的に入賞作品が決定されるのである。

だいたいこうした方式が多くの出版社における新人賞応募作品審査のプロセスである。

まあこれはこれでいいとしよう。

実は私が今回のブログのサブタイトルにしている「かくも冷酷で厳しい世界」ということについてであるが、その理由のひとつは応募原稿に対する出版社の対応のことについてなのである。

一般的に考えて応募者にとって「原稿」というモノは非常に大切なものである。

それはそうだろう。

応募する作品を仕上げるのには多くの日時とエネルギーを費やしてきているのである。

人によって違いはあると思うが、数十日、あるいは数ヶ月、中には数年のものもあるかもしれない。

頭脳とエネルギーを使い、それだけ日数をかけて完成させたモノが大切でないわけがない。

その大切な原稿がである。

出版社に送付したあと、例外はあるが一般的には受け取り通知の一つもこないのが普通なのである。

まあ大方の応募者は安全を帰すため、郵送に当たっては普通郵便を使わず、配達証明付きかあるいは書留で送っているとは思うが、受取通知も送らない出版社の大柄な態度はどうかと思う。

私自身のことを言えば、40代後半から50代はじめにかけて、たて続けに三つの出版社の新人賞を応募したことがある。

その出版社というのは「オール読物」の文芸春秋社・「小説現代」の講談社・「小説すばる」の集英社であった。

その結果文芸春秋社と講談社は「なしのつぶて」で、僅か集英社だけがハガキの受け取り通知を送ってきた。

集英社だけが丁寧だったのは、それが第一回目の新人賞公募であったので、たぶん慎重をきすための従来からの出版界の常識を超えた例外的な扱いであったのに違いない。

私は小説新人賞に応募したのは始めてであり、文芸春秋社と講談社が大切な原稿送付に対して受けとりも何もこないことについて「どうして通知がないのだろうか、本当に担当者のもとに確実に着いているのだろうか」と随分不安に思ったものだ。

つぎに「冷酷で厳しい」という二つ目の理由を述べてみる。
]
それは審査結果通知に関してである。

だいたい小説新人賞は直木賞、芥川賞などの半年に一回というのを除いて、大方のものは年に一回の募集である。

それらのいずれの賞には当然のごとく締切日があるが、ほとんどの人は締め切りの一ヶ月前ぐらいまでには原稿を送るであろう。

そしてその締切日から入賞作品発表までが長く、通常四〜五ヶ月ぐらい先なのである。

したがって応募者は今か今かと発表を首を長くして待つことになる。

そしてやっとやって来た発表であるが、またもや審査結果通知などはまったくこなくて、予選通過作品が載る月の発売された雑誌を見て確認するしかないのである。

応募者としては期待と不安の入り混じったドキドキする胸を抑えながらその雑誌を見るのである。

そして応募作品のわずか1割にも満たない予選通過作品の中から自分の作品名を探すのだが、その中に自分の作品を見出せなかったときの気持はいったいどんなものだろう。

数ヶ月かけた「汗と知恵の結晶」とも言える大切な原稿の束が一瞬にして「もくずと消えて」しまったときの気持は。

そうした応募者の気持などまったく察することがないように、出版社側は個々にはなんの結果通知も送らず、「勝手に発表された雑誌を見ればいい」というその態度が応募者にはいかにも冷酷に感じるのである。

私個人としては応募した作品3点がいずれも厳しい予選を通過したのであったが、落ちた9割にも及ぶ多くの作品の応募者ことを考えて、自分自身、応募原稿に苦労してきたがゆえに決して他人ごととは思えず、そうした出版社の冷酷で厳しい態度について、その当時は切実に考えたものであった。

いずれにしても「文学新人賞応募」という世界も、また厳しいものである

2010年11月23日火曜日

私のブログへの外国からのアクセス数・国別ランキング

私の「ブログ執筆・掲載10の心得」のひとつに、「世界中の人が読むに足るグローバルな見地で記事を書く」というのがあります。

とは言っても文章は日本語で書いているのですが、でもいまは付随している翻訳機能を使えばすぐ他国語に翻訳されますから「日本語」ということが外国人がアクセスする際のそれほどのネックになるとは思えません。

それに海外からのアクセスと言っても、即それが外国人によるものだとは限りません。

いま海外に住んでいる日本人は100万人以上だと言われています。

それらの人々ですが,滞在期間が長ければ長いほど母国日本のことを懐かしく思うものです

ニューヨーク在住経験のある私自身のことを言ってみても、しきりに日本語の活字が読みたい時期がありました。

したがってインターネットが普及した今日では簡単に日本のサイトにアクセスできるのですから、そうした海外在住者のアクセスもあるはずです。

もちろん私のページにもそうした方々からのアクセスはあるに違いありません。

でも正直言って、私が読んで欲しい外国人の対象はどちらかと言うといわゆるネイティブです。
実はそれを狙って時々タイトルを英語で書いているのです。

例えば最近では「Take it easy」[How is your sexlife?]「eraseからdeleteへ」などと、それにシリーズで掲載している「NewYork City西97丁目の思い出」には毎回[NewYorkCity]という文字がタイトルに出ています。

そうした自分勝手な思いでスタートしたブログですが、果たしてどれくらい外国からアクセスがあるかなどとはまったく予想もつきませんでした。

それどころか母国「日本人のアクセス数」すら心配していたぐらいなのですから。

さて開設して「半年」ほど経過しましたがそれはどれくらいあったのでしょう。

では実際の外国からのアクセス数国別合計を下に並べてみることにします。

[国別ランキング]
アメリカ          91
カナダ         77
シンガポール     8
台湾          4
中国          3
ドイツ          3
オーストラリア     2
ブラジル       2
インド          2

以上 2010/11/23現在 (アクセス数 1 は省略)

本日は「日本人のアクセス数」については触れませんが、どうかこの「外国からのアクセス数」から推測してみてください。

2010年11月22日月曜日

見せないほうがいい・「おばさん」たちのフラダンス



人は「見ないでもいいもの」を見てしまって後悔することがたまにある。

でも今回のケースは後悔という点は同じでも、こちらの意思に関係なく、偶然目に入ってしまったというものである。

休日の日に私はよく図書館へ行くのだが、約1.5キロぐらいの行程を以前は自転車で通っていたのだが、運動のことを考え、最近は徒歩で行くようにしている。

昨日もいつものように図書館へと向かったのだが、ちょうどその行程の半分ぐらいの位置の「姫路城」手前に「大手前公園」というよく「催しもの」に使われる広い公園がある。

つい先週にも最近ブームになっている「B級グルメ」関連の大きな催しものが開催されて多くの人を集めていた。

昨日の日曜日もすぐそのそばを通ったのだが、大手前通りというメインストリートに面したその公園には大きな人ごみができていた。

「そうか今日は日曜日なのだ。フリーマーケットが開かれている日なのだ」

そう思って近づいてみるとどうも普段のフリーマーケットとは様子が違うようであった。

いつものようなマーケットはあるにはあった。

しかし店の数はかなり減っていて、その減って少なくなった場所には大きな特設ステージが作られており、その上で多くの人の動く姿があった。

「いったい何をやっているんだろう」そう思って、好奇心のおもむくまま近くに行ってみた。

するとどうだろう。

ステージの上で動いていた人たちはほとんどが50から60年配と思しき「おばさん」たちの姿であった。

多分どこかの「愛好会」であるとかクラブや教室のメンバーの人々なのであると思われたが、総勢30名ぐらいのその「おばさん」たちは普通の姿ではなく、全員がハワイアンドレスと呼ばれる派手な「フラダンス用の衣装」をつけていたのである。

そしてステージの上で彼女たちはハワイアンミュージックにあわせて「フラダンス」を踊っていたのである。

皆さんどうか想像してみてください、総勢30名もの50〜60歳台のありふれた「普通のおばさん」たちが派手な衣装をつけて一斉に「腰を振って」フラダンスを踊る姿を。

私はそれを見たときとっさに思った。

「ああ、見てはいけないものを見てしまった」と。

それは見た瞬間「全身に鳥肌が立つ」とでも言うか、決して目になじむことのない「異様」と言っていいような光景であったのである。

「キモイ」とはまさにこのことを言うのではないだろうかとも思った。

少なくとも私にはそう思えたのである。

はっきり言って後味も悪く、そこを離れてしばらくの間はその残像が目から離れなかった。

一生懸命踊っていた彼女たちにははなはだ失礼ではあるが、ここではっきり言っておきたい。

「どうか踊るのはサークル内でやっていただき、今後は公衆の面前には出ないで下さい。おねがいですから」

本日のテーマは「見てはいけないもの」が目に入ってしまったというお粗末な一幕でした。

2010年11月21日日曜日

1970、NewYork City「西97丁目」の思い出(7)・マンハッタンの初雪

マンハッタンに初雪が降った11月下旬のある朝、洗面に立った私を見てエセルが「一緒に食事をしない」と言った。

このアパートへ来て最初に二週間ぐらいは、彼女はほぼ三日に一度の割合で朝食に誘ってくれていた。

でも、このところ私の朝が遅いこともあってか、久しぶりの誘いである。

食卓についた私に向かってエセルは思わぬ初雪に多少興奮した様子で「この雪はいつもの年より二週間も早いのよ」と言った。

例年だとここニューヨークでは、12月初旬から中旬にかけて初雪を見ることが多いそうだ。

今日が11月21日だから、いつもの年が12月初旬としても、そうだ、きっちり二週間早いのだ。

「この雪も日が照ってうまく溶けてくれるといいんだけど、気温が上がらずそのまま道路に凍りついてしまったら歩くのが大変なのよ」

エセルは今度は心配そうな表情をして、そう話し続けた。

私もその後何度も経験したが、実際ここニューヨいークの雪は降っているときはともかく、降り止んだその後が大変なのだ。

気温は東京あたりよりはるかに低く、積もった雪はよほど速く取り除かないと、たちまちカチンカチンにそのまま道路に凍りついてしまうのだ。

そうしたときは私のような若者でさえ歩くのがオッカナビックリなのに、足腰の強くないエセルのような老人にとっては外出する際の大きなな悩みの種になるに違いない。

でもこの朝の私にはまだそうした事情がよく飲み込めておらず、エセルの話には適当に相づちを打つだけであった。

さあそろそろ出勤だ。

初雪のマンハッタンの街を歩くのも風情はありそうだが、せいぜい滑ってこけないように気をつけなければいけない。

そう思いながら、私はエセルに食事のお礼言って席を立った。

                                     to be continued

2010年11月20日土曜日

「B級グルメ」とは何なのか・A級グルメとはどう違うのか?

カップラーメンは入らないの?
最近よく言い囃されている「B級グルメ」っていったい何なんでしょう?

本日のメインテーマに入るにはまずこの定義づけから始めなければなりません。

その前にまずやることがあります。

B級がある以上その上には当然A級があるはずです。

ではそのA級グルメとはいったい何なのでしょうか。

まずそれをはっきりさせなければなりません。

まず下をご覧下さい

A級グルメ : 洗練された美しさや上品な味を売り物にする、宮廷料理や高級料理店の料理のような一流という定評がある料理

B級グルメ : 値段は安いが美味しい料理のこと。外食チェーン店や大衆食堂などに見られるような料理の中で、特に贅沢で旨いとされるものを指すこともある。ファーストフード、丼物、惣菜などが含まれる。

B級グルメは個人の味覚によって多種多様に存在するが、一般的に定評があるものは、濃厚豪快なことを持ち味としていることが多い。

一般にB級グルメと呼ばれる料理

うどん・皿うどん・お好み焼き・

オムライス・オムレツ ・カレーライス

牛丼・豚丼・餃子 ・姜焼き ・蕎麦

たこ焼き ・チキンライス・チャーハンetc.

(インターネット記事) 教えてgoo「A級グルメとB級グルメの違い」より


読んだとたに思わず笑ってしまいそうな定義づけではありますが、皆さん、これを見ていったいどう思われますか。

A級グルメにある「宮廷料理」や「高級料理店の料理」というものですが、「高級料理店の料理」はともかく、「宮廷料理」とは何なんでしょう。

A級グルメって言うのはつまり高貴な皇族などが食べる料理のことのことなのですか?

でもその「宮廷料理」って一般の人が食べられるのですか、もしそうだとしたら食べられた瞬間にもはや「宮廷料理」などと呼べなくなるんじゃないのですか。

でしたらA級グルメに「宮廷料理」を上げるのはナンセンスです。

でもこんなことをあげつらっても仕方ありません。

書いた人もそれなりに真剣に考えての結論なんでしょうから。

いま言われているようなB級グルメ、A急グルメというのは、その言葉自体がまだ未成熟で、はっきりと意味など定義づけできるような段階ではないのです。

したがって発展段階にあると思われる今、はっきりした定義などはないのですから、私は私なりにB級グルメについて考えてみました。

まず第一に疑問に思うのは、上にあげられたB級グルメの一覧にはインスタント食品が一つも入っていないようですが、いったいわたし達は今日に至るまでどれだけインスタント食品のお世話になってきたでしょうか。

一部ではインスタント食品のことを「ジャンクフード」などと呼んで馬鹿にする人もあるようですが、私は決してそうは思いません。

インスタント食品といえばその代表はなんと言ってもカップラーメンではないでしょうか。

私個人の考えではこの食品を最初に発明した人にはノーベル賞でもあげていいくらいだと思うほど、この食品には長い期間を通じてずっとほれ込んでいます。

安くて簡単で美味しくて、しかも適当な腹ごしらえができて、果たしてこんないい食品が他にあるでしょうか。

そうした恩義ある食品をまったく挙げていないのは失礼千万ではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

こうした理由で私個人としてはカップラーメンをまずB級グルメとして一番にあげたいのです。

次に言いたいのは「B級グルメフェア」などでのメニューの値段ですが、一部安いものもあるとしても、ホルモンうどんの発祥の地であると言われる岡山県津山市のフェアーなどでは、例えばホルモン焼き900円などもあって、これなど値段的に決してけっしてB級などとは言えず、バリバリのA級値段ではないのでしょうか。

冷静に考えてみれば、地域おこし「B級グルメ」などと言っていますが、いわば庶民感情につけ込んだ単なる売上目的の一つの商法なのではないのでしょうか。

皆さん、不景気な昨今の社会状態に乗じて、さも庶民の味方のように見せかけた「B級グルメフェアー」などと銘打った出し物の場所で、値段の高い「焼きソバ」などを食べさせられては駄目ですよ。

2010年11月19日金曜日

1970、NewYork City「西97丁目」の思い出(6)・スタットラーヒルトンホテルの朝

ニューヨーク七番街
風こそなかったが外は身の縮むような寒さである。

コートの襟を耳まで立て、両手をポケットに深々と突っ込み、私は小走りに地下鉄の駅へと向かった。

それまでの午後の出勤ではずっと各駅停車のローカルを利用していたのだが、流石にこの日は八十六丁目まで来るとエキスプレスに乗り換えた。

なんと言っても朝の十五分は貴重である。


午前八時、私はこのホテルに来て初めて早出出勤の職場に立ったのだが、その喧騒には驚ろいた。

二千室の客室をもつこのホテルの朝はまるで戦場のようにけたたましい。

大きな荷物と一緒に各フロア—から宿泊客が出発の為いっせいに一階のロビーに下りてくる。

何百人という客があちこちで輪を作って談笑する声がワーンという一つの塊になって広いロビー全体を包んでいる。

そんな喧騒の中でフロントデスクのカウンターに立った私は、前から左右からと間断なしに渡される膨大な量の部屋のキーを必死になってキーボックスに収める作業を繰り返した。

このめまぐるしいだけの単調な作業がその朝わたしに割り当てられた仕事であった。

それでも十時をまわった頃になると流石に出発客も減りはじめ、それまで怒涛のごとく押寄せてきていたキーの波も少しずつ途切れるようになってきていた。

この日私が職場についたのは仕事の始まる八時ぎりぎりで、仕事の前にモーニングコーヒー一杯ですら飲む余裕はなかった。

キーの収納が一段落したところで、チーフのマックにことわってコーヒーブレイクをとることにした。

この職場では昼の五十分の休み以外に午前と午後に各二十分ずつのコーヒーブレイクが認められていて、各々が仕事の状態を見ながら適当な時間にとることになっていた。

でもコーヒーブレイクと言っても別に皆がコーヒーを飲むわけではなく、その過ごし方もいろいろあって、ロッカールームのソファで休む者、しばしの間外へ散歩に出かける者、そしてコーヒーショップで遅い朝食をとる者と皆それぞれであった。

この日朝から何も食べていなかった私は、ロビーの隅にあるコーヒーショップへ行き、好物のチーズバーガーとコーヒーを注文した。

楕円形の長いカウンター席には私と同じように遅い朝食をとっている宿泊客らしき人々がまだ十数人も残っていた。

隅のほうの席へ座って中をぐるっと見わたした私の目に、カウンターが大きくカーブした左斜めの席の二人の日本人の姿が入ってきた。

そのうちの一人は確か一時間ほど前にフロントカウンターの私のところへやってきて「東京から来ている近藤誠二という人のルームナンバーを教えて欲しい」とたずねた男だ。

とすれば隣の人がその近藤誠二さんなのか。

そう考えながらぼんやりと二人の方を見ていた。

すると先方のほうも私のことに気づいたらしく、先ほどの男がニコッとして会釈した。

つられて私も頭を下げた。

私がまだチーズバーガーを口にしているとき、二人は席を立って出口に向かって歩いていた。

一人がキャッシャーで支払いをしている間に会釈した方の男がツカツカと私のほうへ寄ってきて言った。

「先ほどはありがとうございました」 そう言って丁寧に頭を下げた。

「どういたしまして」 私がそう言い終るか終わらない内に、その男は「こちらにはいつからお勤めになっているのですか?私は今日のように日本からきた人を迎えにちょこちょここのホテルへ来るのですが、お目にかかるのは初めてですね」と言った。

「日本から来て勤め始めてまだ一ヶ月です」

私がそう答えると、男はポケットから名刺を出して渡した。

N商事ニューヨーク支店、山崎憲一とある。

「こちらへ着てもうすぐ二年になります。仕事でよくあちこち行きますので今ではニューヨークのことはかなりよく分かっているつもりです。何かこちらのことで分からないことがありましたらいつでも私のオフィスへお電話ください」

山崎はにこやかな表情でそう結んだ。

流石は一流商社マンで如才がない。

年令は私より二〜三歳上のたぶん三十を少し越えたぐらいに違いない。

頭髪は七三にきちっと分け、メタルフレームのメガネをかけて、キリッと口元の締まったその表情からはいかにも「やり手商社マン」ということが伺えた。

この日の出会いをきっかけにして、私と山崎とのニューヨークでの楽しい交遊がはじまったのであった。
                                                                               
                                                                                              to be continued

2010年11月18日木曜日

なんと「朝食つき、2580円」もある・激化するビジネスホテルの値引き競争

過日所用で岡山市に出向いたとき、バスで目的地へ移動していたのだが、路面電車も走るそのメインストリートには多くのビジネスホテルが並んでいた。

何故ビジネスホテルばかり目についたかと言うと、あちこちの建物の屋上から垂らした大きな広告の文字がやたらと目についたからである。

最初に見たのが本日のブログタイトルにもなっている「朝食つき一泊2580円」というものであった。

はっきり言ってその金額には驚いた。

私は姫路市の駅前に住んでいるのだが、場所柄周りにはビジネスホテルが密集している。

でもどこも値段は5000円以上で、その金額の半分くらいの2580円などという安い価格はこれまで見たことも聞いたこともない。

第一こんな価格ではたして採算が取れるのであろうか。

これを見たとき即座にそう思った。

それから少し移動して、次に見たのは建物の屋上に掲げられていた「一泊朝食つき税込3970円」というすごく人目をひく大きな広告であった。

先ほどのものより少し高いが、それでも4000円を切っているのである。

この二つのホテルだが、いずれも駅からスピードの遅い路面電車に乗ってでも僅か5分前後のところにあるのである。

岡山市とは果たしてビジネスホテルの安い都市なのだろうか。

二箇所の格安の広告を見てそう思った。

そう言えば同じ中国地方の松江市に行ったときにも、駅前の数ヶ所のホテルの3000円台の安い値段の広告に驚いた経験があるが、中国地方自体がホテルの安い地域なのだろうか。

そのことについての疑問が消えなかったので、家に帰ってからインターネットで「格安ビジネスホテル情報」というのを調べてみた。

するとどうだろう。

全国のビジネスホテル情報には流石に2000円台というのは少なかったが、3000円台になるとそれほど珍しくないぐらいの数の全国のホテル名が出てきた。

特にインターネットで早期予約をした場合の料金は通常価格よりかなり安めに設定されているようだ。

私の住むマンションのすぐ近くにある全国チェーンの「T」というビジネスホテルなどは通常のシングルの値段5800円より、2000円近くも安い価格がネット上の広告に掲げられているではないか。

私自身今は出張などない身であり、ビジネスホテルを利用することはほとんどないが、景気の悪い今の日本で、こうしたビジネスホテルの価格破壊とも言える低価格は、出張の多いビジネスマンにとっては誠に喜ばしいことではないだろうか。

しかし多くできすぎたゆえに、今後この業界に於ける「低価格競争」はますます激化が予想され、その結果淘汰され廃業へ追い込まれるところも少なからず出てくるのではないだろうか。

まさにビジネスホテルはいま厳しい「生き残り競争」の時代の渦中にあるようである。

2010年11月17日水曜日

相次いで消えていった商都大阪の二つの名門ホテル

ホテルプラザ

大阪グランドホテル

関西の人はすでのご存知だと思うが、この10年ほどの間に大阪を代表する二つの名門ホテルが消えていった。

それは各々50年と30年の歴史を持つ中島の「大阪グランドホテル」と大淀区の「ホテルプラザ」である。

「大阪グランドホテル」が2008年閉鎖、「ホテルプラザ」はそれより9年前の1999年の営業停止であった。

9年という違いはあるが、これら二つの大阪の名門ホテルが、20世紀終わりから21世紀初頭にかけての約10年の間に相次いで閉鎖されたのは何かの因縁であろうか。

実は私は20代から30代にかけて、ホテルマンとして十数年間この両方のホテルに勤務していたのである。

まず大阪グランドホテルだが、その開業は日本が高度急成長時代に入って間もない1958年である。

今このホテルの歴史を振り返るうえで忘れられないことは、開業当時このホテルには現在は押しも押されぬ大作家である若き日の「森村誠一氏」がフロントマンとして働いていたことである。

わずか一年だけの在籍で、その後東京のホテルへ転属していったのだが、氏は折にふれて、エッセイなどで大阪でのこのホテルで勤務しながら小説修行に励んだのことについて書いているいる。

今でこそ大阪には立派なホテルは数え切れないほどあるのだが、当時のホテルといえば帝国ホテルの設計者でもあり、日本でも有名なアメリカ人の「ライト氏」が設計したという「新大阪ホテル」ぐらいで、その後数年してやっと大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)ができた程度であったのである。

私が入社したのはちょうど森村誠一が去った直後の1959年のことであった。

開業からまだ一年しか立っておらず、それまで見たこともないような新しくて設備の整ったな近代的ホテルであった。

そこで私は客室係、ナイトボーイ、フロントオフィスと所属をかえながら約7年間勤めた後、新しく中島に建設された同じ住友系列の「大阪ロイヤルホテル」(現リーガロイヤルホテル)へと転属したのであった。

大阪ロイヤルホテルといえば当時まだ数少なかった大阪の高層ホテルに先鞭をつけた数少ない高層建築で、新聞などにも大きく取り上げられ、当時、民衆から大きな注目を集めたことを今でも覚えている。

それから3年ほどたって、1969年は大阪で開催された世紀の大イベント万国博にあわせてに開業した「朝日放送」系列の「ホテルプラザ」に当時の上司に引っ張られて一緒に転属していったのである。

ホテルプラザは23階建の外観からしても超近代的なホテルで、このホテルも開業時には大きな評判になったものである。

JRの電車からも一望できる大阪福島区の「朝日放送」の建物に隣接したスマートでシャープな外観をもつこのホテルは開業してしばらくの間は大阪人の注目の的であった。

私は万国博開幕時にはフロントマンとしてこのホテルに勤めていたのだが、普段だと決して会えることがないと思える「万博」に訪れた世界中の多くの有名人と接触することができた。

その当時のことを綴り社内報にも載った「私の夜勤日誌」という記事が残っているので、その一部ををここに引用することにする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[○月○日]

三月も余すところあと数日になって、このところ気温も急上昇してやっと春らしくなってきた
今日から万博にちなんで「国際映画祭」の開催だ。

世界各国の映画関係者の予約がワンサと入っている。

そう言えばつい先ほど世紀の大女優く「クラウディーナ・カルディナーレ」がチェックインしたようだ。

とてもきれいだ。それになんと言っても大女優としての風格がある。

そうだ、明日は明日でアメリカの超人気エンタテイナー「サミーデイビスジュニア」の予約も入っているではないか。

ああ、EXPOはまだ開業したばかりだ。

180日の大ロングランで先はまだまだ長い。

月12回もの夜勤に、果たして体は耐えうるだろうか。

せいぜい摂生して、スタミナづくりに努めねばならない。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから30年後に、この「ホテルプラザ」は過当競争に敗れ惜しくも営業停止を余儀なくされたのである。

そしてそれから10年後、今度は「大阪グランドホテル」が建物老朽化のために50年間続いた営業に終止符を打ったのであった。

大阪を訪れた多くの有名人たちに愛されたこれら二つの名門ホテル、今はもう訪れることもできなくなってしまったが、「日本のホテル史」にも長く名を留めると思われ、「思い出ばなし」はきっと末永く語り継がれていくことであろう。

2010年11月16日火曜日

「ハローワーク」は進化した

はっきり言って長い仕事人生を振り返ってみても、私はそれほど職業運には恵まれた方ではなかったようだ。

それでも最初のホテルマンが約16年、次に長かったフランチャイズの児童英語塾経営が15年で、この二つの職業はまずまずの期間続けられた。

しかしその後がよくなかった。

その後15年ぐらいの職業人生で10回ぐらいも転職を重ねてきたであろうか。

したがってその都度ハローワークのお世話になってきた。

もっともすべての就職がハローワークを通してではなかったが、失業保険の申請などもあり、それなりによく通っていたのは事実である。

50代前半の最もよく通っていた頃はまだハローワークとは呼ばれておらず、職業安定所、通称「職安」と呼ばれていた。

その「職安」だが、もちろん当時は今のようなパソコン端末でスピーディーに仕事を検索するのではなく、「手めくり」のファイルを一枚づつ眺めていく方法であった。

でも同一ファイルが何冊もあるわけでなかったから、人が使用しているときはそれが戻されるまでずっと待たなかればならず、時間のかかることこの上なかった。

したがって一度行くと一時間や二時間では終わるはずもなく、少なくとも半日は費やす覚悟で臨んだものだ。

それが昨今の変わりようはどうだろう、

ずらりと並んだパソコン端末機、その前に座って手で軽くタッチするだけで次々と職業紹介の画面が変わっていくのだ。

一画面見るのに四〜五秒として、10分も見れば100件以上も職種の画面が閲覧できるのである。
スピーディーなことこの上ない。

進化したのはそれだけではない。

今のハローワークには様々なサービス窓口がある。

その一つが失業保険がない人への失業中の生活相談、つまり生活資金の供与とか、あるいは再就職の為の職業訓練の斡旋で、これらはすべて国の援助で無償で受けられるのである。

この職業訓練、無償とは言えその種類は実に多彩である。

具体的に言うと、例えばかなり専門的な知識である「貿易実務」とか「ウェブデザイン」といった高度なものにまでに及んでいるのである。

以前のような言わば簡易型で形式的なものではなく、高度で本格的なものがそろっているのである。

求職者にとってはまさに夢のような時代の到来と言っても過言ではないだろう。

生活資金まで提供してくれて、その上に無償で職業訓練が受けられるのである。

一昔前まではまるで予想もできなかった大進化なのである。

求職者はこの千載一遇のチャンスを逃してはならない。

現在失業中の人はこの制度をうまく活用して、将来のためにしっかり知識と技術を身につけることだ。

実はこの私も一ランク上のパソコン技術を習得する為に12月から始まるコースに申し込んだばかりだ。

こうした機会を与えてくれた「進化したハローワーク」に感謝しながら、さあ、また新しい仕事にチャレンジする為に「来月からの学習」はしっかり力を入れて臨むことにしよう。

2010年11月14日日曜日

「チラシ配り」のマナーとテクニック

一週間ほど前の夜8時くらいであっただろうか。

JR姫路駅前の山陽百貨店前辺りで、チラシ配りらしい背の高い若い男がやにわに近寄ってきて、手にしていた部厚い紙の束から一枚を抜き取って私に渡そうとした。

でも、私は受け取らなかった。

ただ受けとらなかっただけでなく、こんなセリフをその男に投げかけていた。

「ごめんなさい、受けとれません。今度もう少し上手に渡してくれたら受けとるかも知れません。もっと渡し方を研究してください」

普段だと決してそんなことは言わず、受けとらないにしても黙って素通りするだけなのだが、その時は少し酒が入っていたせいかついついそんなふうに言ってしまったのだった。

もちろん微笑を浮かべながら優しく言ったのだが。

実はその男にはそれまで同じ場所で2回会っていた。

最初のときは何げなしに受けとってしまったキャバクラのチラシだったが、二回目は黙って素通りして受けとらなかった。

そしてその夜が三回目だったのである。

一回目は出会いがしらに受けとってしまったのが、二回目、三回目は受けとらなかった。
何故なのだろうか。

もちろん前と同じモノだからということもある。

でもそれだけではない。

その理由は、三回目のときの私のセリフでもわかると思うが、その男の渡し方がいかにも下手くそだったからである。

いきなり近寄ってきたと思うと、笑顔もみせず無表情で、黙って私のほうへ向かってチラシを突き出すのである。

それを見て私は一瞬「なに、この下手な配り方は。今時こんなチラシ配りも珍しい」と思ったのである。

私は前々からチラシ配りについていろいろと思っていた。

つまり、同じ時間をかけても配り手によって消化量は大いに違うだろうとか、配らせる前に徹底的にマナーやテクニックについて指導すべきだとか、声が大きく明るい人を採用すべきだとかなどについてである。

今回の姫路駅前で会った男はそれら必要要素のいずれも持ち合わせていなかった。

したがって成果もまったく上がらなかったのに違いない。

これまでに私が出会ったチラシ配りの人にはいろんなタイプの人がいた。

例えばJR大阪駅前では踊るようにタップを踏んでくるくる回りながら宣伝用ティッシュをくばる男の人。

また神戸元町駅前では店の名前の入った黄色い制服をきて、いつも万面に笑顔を浮かべてた楽しそうにチラシを配る若い女の人など。

それほどに個性を出し、テクニックを使わないと今時の歩行者はチラシなど受け取ってくれないのである。

それ故に、今やチラシ配りと言えども体と頭をフルに使わなければ勝負にならない時代なのではないだろうか。

2010年11月13日土曜日

上がってきたのか、「白衣の天子」の人気と地位

私は西洋のクラシックとともに日本の古い歌謡曲が好きなのだが、その好きな歌の中に橋幸夫の「白い制服」という曲がある。

ネットの「YouTube」でこの曲を選択すると、タイトルバックに人気女性タレント井上和香さんが白衣の看護士姿をした愛らしい画像が載っている。

特に男性ファンが多い彼女のこの画像は橋幸夫の歌とともに、このところ職業としての人気を高めてきている「女性看護士」に対する、さらなる力強い応援になるに違いない。

インターネットで「人気職業ランキング」などを眺めてみると、調査対象者や種類の違ういろいろなデータでも、職業としての女性看護士の人気はかなり高く、人気ベストテンでもたいていは3〜6位ぐらいの安定した位置にあるようである。

そして世の流れのせいか、かつて長い間ランキングトップにあった「キャビンアテンダント」(旧職名スチュワーデス)は今ではほとんどのデータでの人気ランキングで、看護士より下になっていることが多いようなのである。

看護士の仕事と言えば、今では患者の多くを高齢者が占めており、また勤務シフトには夜勤などもあり肉体的にも決して楽な仕事だとは言えないが、その分給料も高くしかも医師とともに「患者の病気を治す」という高貴な役目を職務としており、そうした面が評価され、最近では女性の職業として、そのステイタスも随分高くなっているようである。

したがって結婚相手としてこの職業に従事している女性を望む男性は多く、コンパなどでも相手の男性が望む職業として、この看護士さんの人気は高く常に上位にあるようである。

男性が望む理由としては、なにも収入やステイタスが高いことだけではないようで、それはなんと言っても日夜手のかかる病人を世話することを職務としていて、「やさしさ」や「忍耐強さ」なくしてはできない仕事だという点に共感しての人気なのではないだろうか。

今後の日本社会はますます高齢化が進み、当分の間は病院のベッドは満杯状態が続くに違いない。

それに伴い看護士さんの仕事もますます多忙になり、また新しい多くの人材も必要になるに違いない。

そういった意味で、この職種の女性を結婚相手に望む男性にとっては数の面では有利な状況になるだろうが、なにぶん体力と神経を使う職務だけに、その点を十分に理解した上での慎重な相手へのアプローチであって欲しい。

今年5月、胆嚢結石で一ヶ月間入院して、多くの看護士さんの世話になった身としては、切実にそう思う次第なのである。

2010年11月12日金曜日

日 本 を な め る な!!




最近の領土問題におけるロシア、中国を初めとして、このところの日本は近隣諸国からずっと「なめられっぱなし」と言ってもいいような状態が続いている。

なぜなんだろう。

「先進七カ国」にも入っていて、このところ多くのノーベル賞受賞者も出したりして、国際的な観点から眺めても、ある程度の国力を示しているとも思われるのに、そうした思いとは裏腹に、国家として少しも重んじられることはなく、いつも軽んじられてばかりいるのである。

なぜいつまでもこうした状態が続くのであろうか。

また他国に「なめられる」原因はいったいどこにあるのであろうか。

およそ二者間の関係において、相手に「なめられる」ということは碌なことではない。

そしてどんな関係に於いても相手になめられたらすべてが「終り」であるとも言えるのである。

このことは国際関係に限らず、世の中のあらゆる関係についても同じである。

つまり親と子供、教師と生徒、上司と部下、客と営業マンなどの関係においてもなのである。

では相手に「なめられる」ということが、その後の関係にどのような悪影響を及ぼしていくのであろうか。

最も悪いことは、相手が言うことを聞かなくなるということである。

それは当然ではないか、「なめる」ということは言い換えれば「軽く見る」ということで、そんなふうに見た相手の言うことなど誰も聞くはずがないからである。

このことは学校を例にとって見ればよくわかる。

ある学校のあるクラスで雑談や邪魔が多く授業が成立しにくいという場合を考えてみよう。

おそらくこのクラスも始めの頃はそうではなかっただろう。しかし先生の様子を伺っていくうちに、相手が甘そうだと生徒が気づき「この先生だと騒いでも大丈夫だろう」と計算ずくで授業の妨害を始めていくのである。

つまり生徒たちは先生のことをうやまったり、言うことを聞いたりする理由を見いだせなかったのではないのだろうか。

その結果失望感から、「こんな先生の言うことなんか聞かなくてもいいや」という反抗心が子供たちに芽生え、その気持が、授業妨害という行動の原因になったのではないだろうか。

いずれにしても生徒を惹きつける能力のない教師が生徒になめられた結果起ったことなのである。

こうしたことは親と子供、上司と部下、客と営業マンなどの関係においてもまったく同じである。

要は優位に立つべき人が相手になめられたのでは物事は決して建設的には運ばず、むしろすべてが「ぶち壊し」の悪い方向へとしか進んでいかないのである。

悲しいかな、人間社会ではこの「なめる」「なめられる」という関係がずっと続いており、その関係を基準にして優劣とか序列だとかが決められてきているのである。

こうした視点に立てば「なめられる側」は「なめる側」より劣等であって、力関係での順位も下位になるのは自然なことなのである。

そしてこれを、「国の勢い」という観点から眺めてみると、日本はなめる国の側の中国、ロシア、北朝鮮、より劣っていると言えるのではないだろうか。

したがってこういう状況を脱するためには、日本としては早急に国としての「勢い」をつけなければならないのである。

国際関係において、いつまでも「お人好し日本」であってはならないのである。

どうか「国民の親」としても、はっきりと自己主張のできるしっかりした存在であって欲しい。

2010年11月10日水曜日

コールセンターあれこれ

いつの間にか日本にも定着してしまった観のある「コールセンター」と呼ばれる業態(職種)だが、いったい現在この種に属する組織の種類は数にしてどれくらいあるのであろうか。

よくテレビなどでヘッドフォンをつけて電話相手と話しながらパソコンを操作する若い女性の姿を目にするが、働くスタイルとしては見栄えもよく、知的な感じもするなかなかいい職業ではないかと思えるのだが。

このコールセンターだが、厳密に種別を分けると、外部からかかってくる電話へ対応するインバウンドと、逆にセンターから外部へ電話コールを発信するアウトバウンドがある。

インバウンドは客の相談への対応や苦情処理、アウトバウンドは調査や商品売り込みのいわゆるテレマーケティングに利用される。

いまのところこれを設置する業界にはパソコン関係、電気製品関係、通信情報関係、それに保健関係などが多いようだが、中には変わったものもあるようだ。

知り合いの女性に随分珍しいコールセンターに勤めている人がいる。

それは「コインパーキング」専門のコールセンターで、全国のコインパーキング利用者の現地でのトラブル処理にあたるのが任務なのであるものである。

その人によれば料金入金や釣銭などに関する様々な問い合わせに応えることと、それらに関するトラブル処理が多いそうだが、驚いたのは車を止めた際、前輪と後輪の中程に突き出る車止めが下がらなくなり、そのトラブルでさえコールセンターのパソコンのキータッチ操作一つでその車止めを下げることがそうなのである。

これは凄いではないか、パソコンのキータッチだけで遠隔地のそうした機械でさえ動かすことができるというその技術というものは。

最近ではよく聞くことだが、このコールセンターの発祥の地であるアメリカでは今その拠点をインドに置いている会社が多いそうだ。

もちろんその理由は人件費削減の為だが、アメリカ国内在住の客としては自分のかけた電話がはるばるインドへ繋がっているとは思いもしないだろう。

でもそれはうまくしたもので客にはそれはわからないそうである。

ただ電話をかける度になまりの強いインド人の英語ばかり聞こえてきて、その点に少し不審を持つかもしれない。

日本だとさしずめ中国へでも拠点を持っていきたいことだろうが、悲しいかな今の中国には日本語が上手な人はそれほどいない。

そのためにはまず大量かつ大規模な日本語学校の普及が先である。

このコールセンター、働く姿こそとてもかっこよく見える職種だが、息つく暇もないほどひっきりなしにかかってくる電話への応対と、このところ日本でも増えつつある様々なクレーマーをも相手にしなければならず、外見とは裏腹に中々大変な仕事であるのかもしれない。

なおコールセンター設置企業名と業種などについてはネットの「ウィキペディア」に詳しく掲載されている。

2010年11月7日日曜日

各家庭にお一つづつ「財政赤字カウンター」をどうぞ

日本の国の借金額を示す、いわゆる「財政赤字カウンター」と呼ばれるものだが、ネット上にはもう随分前から掲げられてきている。

まるで留まることを知らず、年々雪だるま式に増えていく桁違いとも思える日本が抱える「借金」について、これまで国民のどれだけの人々が実際にこれを目にして、この莫大な借金額を実感としてとらえているのであろうか。

その借金額と言えば、平成22年3月現在で 約825兆円, 平成23年3月31日になれば 約862兆円 と増えていき、1日あたり約101,369,863,010円、 1時間 あたり,約4,223,744,292円、1分あたり約70,395,738円、1秒あたり約1,173,262円 となり、実に恐ろしい勢いで今もその額を増やし続けているのである。

いったいこれだけのお金はどこへ消えていってしまったのであろうか。

世界一と言われるの公務員給与へか、一時はびこった地方の箱もの建設の資金へか。

はたまた政府関係機関への無駄な補助金へと消えていってしまったのか。

いずれもしても日本の繁栄の陰で、これだけの借金ができたとしたら、果たして過去の成長は本物であったのであろうか。

繁栄と見えて実は借金を食いつぶしていっただけの虚栄の繁栄であったのではないのではないのだろうか。

でもいまさらそれを追求しても無駄である。

したところで元には戻らないのだから。

では、この莫大な借金を今後どうして払っていくのであろうか。

まさかできる限りいつまでも借金をつづけていき、破綻すればそれで仕方がないと考えているのではあるまいか。

あたかもそれが個人の過剰債務者のように。

では、個人と同じように国も自己破産してしまうのであろうか。

もしそうなったら、国民にはどんな影響が及ぶのであろうか。

実は国民がそれほど切実に考えていないと思える日本の財政赤字も、真剣に考えればここまでつき詰めて考えなければならないのである。

もうこれ以上の借金は沢山である。

この借金額をこれ以上増やさないようにして、できれば額を年々減らしていく為にも国民一人一人がこれを注視していかなければいけない。

それには「各家庭にお一つづつの」財政赤字カウンターが必要なのではないだろうか。

インターネット
財部誠一「日本の借金カウンター」参照

[Link]インターネット「財政赤字カウンター]
http://www.kh-web.org/fin/

2010年11月6日土曜日

1970、NewYork city「西97丁目」の思い出(Ⅴ)・地下鉄「セブンスアベニューエキスプレス」

かねてより多くの人からニューヨークの地下鉄についての様々な悪評を聞いていた。

色々あったが、その最たるものは、ホームや車内でやたらと犯罪が多いということである。

特に黒人居住区ハーレムに直結しているこの「セブンスアベニューエキスプレス」が最も危険な路線であるとも聞いていた。

そんな予備知識のせいで、最初これに乗車する時はずいぶん不安を感じたものだ。

でも、怖いもの見たさと言うか、好奇心はそれにも増して強かった。

ニューヨークの地下鉄を一言で表すとすれば、それは「暗い」ということに尽きる。

この暗さが多くの犯罪を生み出す第一の温床ではないだろうか。

それなら照明を増やして明るくすればいいではないかとも思うが、照明もさることながら、全体的な雰囲気とかムードが暗いのであって、ただ明るくすればすむ問題でもないだろう。

ガーガーとすさまじい音をたてて突っ走るその地下鉄のつり革に掴って私はそんなことをしきりに考えていた。

まあ、この問題は、いつかまたチャーリーとでも話し合ってみることにしよう。

電車はローカルとエキスプレスの二種類ある。

ローカルというのは各駅停車、もうひとつのエキスプレスはローカルの約三分の一の駅でしか停車しない急行列車だ。

職場のスタットラーヒルトンは急行の止まるペンステーションからわずか2ブロックのところにある。

だから九六丁目で乗車して、二つ目の七二丁目で急行に乗りかえればいいものを、何故だかそのまま時間のかかるローカルに乗ったままであった。

このころの私にとっては、わずか二十分そこら早く着くより、各駅停車のローカルに乗って、駅の様子とか乗客だとかをゆっくり観察することのほうへ余計に興味があったのだ。

96目から目的地ペンステーションまでは、このローカルで三十五分、いつも三時十五分ごろ駅に降り、それからゆっくり職場へ歩いて行く。

「スタットラーヒルトンホテル」の社員用ロッカールームへ入るのはいつも午後三時半少し前である。

                                                                                                       to be continued

2010年11月5日金曜日

危険率「1対15」・日本とアメリカの警察官の給料「3対2」の現実


まず下の表を見ていただきたい。

これは5年前の統計ではあるが、日米の公務員4職種の給料(年収)を比較したものである。

         米国      日本
高校教師  531万円     741万円
警察官   494万円     740万円
消防士   409万円     572万円
事務公務員 334万円     628万円

インターネット記事
「日本とアメリカの業種別平均年収(2005)を読む」より

驚くなかれ、これら公務員のいずれの業種でも日本が「世界の大国アメリカ」を大きく上回っているのです。

皆さん、いったいこの数字が信じられますか。

他の国ならいざ知らず、「大国アメリカ」を大きく上回るなどということを。

私としては、どう考えてみてもにわかには信じがたいことなのですが。

本日はこの信じ難い事実の中で、「警察官の給料」にターゲットを当てて考えてみることにします。

以前から日本の公務員の給料は世界一高いと言われてきていますが、仕事の性質の点から、国際的に見てもそのアンバランスがわかりやすい警察官についてその給料について眺めてみることにします。

警察官と言えば、犯罪捜査が最も大きな任務になっているのですが、それ故に他の職種に比べて身辺の危険率が高い職業なのです。

その危険率ですが、いったい日本とアメリカではどれぐらいの差があるのでしょうか。

この問題に対しては「銃」ということを抜きにしては語れません。

言わずと知れたアメリカは「銃社会」です。

民間人の銃所持が規制されてない州が多く、言わば誰が銃を所持してもおかしくない社会なのです。

逆に日本のそれは厳しく規制されており、まず民間人が銃を所持することは不可能です。

したがって他の要因はさておき、「銃規制」がないというこのことだけで、日本に比べて圧倒的にアメリカ社会の危険度は高いのです。

現に年間の警察官の殉職者数を比べてみても、日本の「10人前後」に対してアメリカはその15倍以上の「150人から180人」にも達しているのです。

この数字から単純に割り出すと、アメリカの警察官の危険度は日本の警察官の15倍以上になるのです。

だとすれば彼らの給料は安く見積もっても日本より数倍は高くても不思議でないはずです。

しかし実態は上の表のごとく日本の約「3分の2」の給料でしかないのです。

いったいこんなことって信じられますか。

もちろん殉職者に対する恩給などで厚く報われることはあるのでしょうが、そんなことがどうだというのですか、死んで花実は咲かないのですから。

この事実はいったいどういうことを意味するのでしょうか。

アメリカが安すぎるのか?それとも日本が高すぎるのか?

答えは間違いなく後者なのです。

莫大な財政赤字を増やしながら、いつまでたっても世界に類をみないほどの「公務員の手厚い待遇」を改善しない日本政府の無能が生んだ産物なのです。

こうした馬鹿げたことも日本評価の一要因となって、中国、ロシアから軽視された結果が、今回の「領土問題」の惹起なのではないでしょうか。

菅総理、いいかげんに真剣にならないといけませんよ。

でないと日本はそのうち世界から「総スカン」を食らいますよ。


link
・「未解決殺人事件が多すぎる・日本の警察は果たして大丈夫なのだろうか 」10/10/21
http://tuneoo.blogspot.com/2010/10/blog-post_21.html

・「信頼されていない日本の警察 ・ 2011年にある大学が行った調査より」 12/01/02
http://www.blogger.com/post-edit.g?blogID=253350381351833786&postID=2347124964205648703

2010年11月4日木曜日

さて、なんと呼ぼうか・「おばちゃん」「お母さん」それとも「おねえさん」

「おばちゃん」か「おねえさん」か
酒食を提供する店などで直接客の相手をするサービス現場で働く女性を前にして、いったい相手をどんな呼称で呼べばいいのか迷うことがよくある。

そうした際、相手の年恰好だけを見て早急に呼称を決めてしまうのは早計である。

女性という人種、およそ年令には極めて敏感で、年端を増すにつれ他人にそれを見破られることを極端に嫌がるものである。

したがって例え相手が中年女性であったとしても、軽はずみに「おばちゃん」などと呼ぶと、とたんにいやな顔をされること請け合いで、その後のサービスにも微妙に影響してくるのである。

大衆の面前で「おばちゃん」などと呼ばれて嬉しいわけはないから、そう呼んだ相手に対してのその後のサービスはさじ加減され、少なからず減点されるのである。

いわば仕返しを受けるのである。

過去それで幾度となく苦い思いをした経験のある私などは、そうした場合、相手がよほどの年配でない限り、ほとんどの場合は「おねえさん」と呼ぶことにしている。

それも嫌味や皮肉に感じないように極めて自然に「おねえさん」と呼ぶのである。

そして何かを頼むときなどはその前に「すみません」という言葉ををつけて言えばなおのこといい。
つまり「すみませんおねえさん、チュウハイお変わりお願いします」というふうにである。

すると相手はすかさず「はい」と、とてもいい返事を返してくるのである。

そしてその後のサービスもきっちりと手抜きなく提供してくれるのである。

一般的に言って居酒屋とか立飲み酒場で飲んでる際、周りの客を見ていると、いかに多くの人がこうしたことに気遣うことなく、実に無神経に相手を呼んでいる。

それは「おばちゃん」であるとか、さらにもっとひどいのは「おかあさん」などと、まるで肉親でも呼ぶようなくだけた呼称を用いて呼んだりしているのである。

呼ばれた当人としては、これは決して気分のいいものではなく、「いったい誰があんたのおかあさんなのよ」と、気安くそんな呼び名を使った相手に対して悪態の一つもつきたくなるに違いない。

店の女の人にそんな気持を態度に表され、その後のサービスが悪くなったりしたとすれば、客としても面白いはずはなく、せっかくの酒がまずくなること請け合いである。

したがって、そんなふうにならない為にも、女性の呼び方には十分注意したいものだ。

立ち飲みなど、せっかくの安い店なのに、気安く無神経な呼びかたをしたが故に、結局は高いものについてしまうこともあるので、のん兵衛諸氏におかれましてはご注意を!

2010年11月3日水曜日

Space speaks・空間(間隔)は語る

10年以上前になるが、高校英語「NEW HORIZON」(Ⅱ)の教科書に今でも忘れられない印象的な記事が載っていた。

それは本日のブログテーマの「Space speaks」と題した、人が会話するときのお互いのスペースには「国によって違いがある」ということが主な内容の読物である。

それまでそんなことを聞いたことも、また意識したことも無かったので私にはすごく新鮮で魅力テーマに思え、読んだ後には少なからず感銘を覚えたものだ。

内容はざっとこういうものである。

このアメリカ人の著者は、ある時外国からの外交官の訪問を受けたのだが、その時のエピソードを綴ったものが今回の話である。

「その南米から来た外交官は私と話し始めると、次第に私のほうへ少しずつ前進して間隔を狭めようとした。

私としてはそれにつれて後ずさりをはじめ、もとの間隔を保とうとした。

すると彼は『何で後ずさりなんかするのだろう、私は友好的に話し合うために近寄っていっているだけなのに』とでも思うかのように、怪訝そうな表情をして、しだいに話しにくそうなそぶりを示し始めていた」

著者としては自分が話しやすいと思うスペースを保とうとして「21インチ」ほど後退しただけなのだが相手はそれを理解しなかったのである。

そのことについて後になって、会話のときの心地いいスペースというのは国によって違いがあるのではないかと気づいたのである。

つまり自分たちが心地よいと考えているスペースは違う国の人々には必ずしもそうでなく、むしろ話し憎くて、心地悪いと感じるのかもしれないというふうにである。

例えば南米の人は一般的なアメリカ人より狭いスペースを心地よいと感じるようだが、逆にそのスペースで会話を続けることはアメリカ人にとっては好ましい状態でなく、むしろ不快感さえ感じるのである。

著者はまた次のようにも綴っている。

「一般的にアメリカ人はごく親しい人との会話を除いての普通の会話では、だいたい2〜3フィーとの距離を保っているいる。

でもラテンアメリカの人々はそれでは間隔が空きすぎると感じるので次第に前進して間隔を詰めてくるのである。

そしてアメリカ人はというと、そんなに間隔をつめられるのは馬鹿にされているというふうに感じ、後ずさりするのである。

でも決して彼らは前進することを止めないので、最後は机の下にもぐってでも間隔を保たざるを得なくなってしまうのである」

最後の部分は著者のジョークであろうが、「Space speaks」というこの話、中々興味が涌く含蓄ある内容ではあった。

さてわれわれ日本人が好む会話の際のスペースはいったいどれぐらいなのであろうか。


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2010年11月2日火曜日

1970,NewYork city「西97丁目」の思い出(Ⅳ)・リバーサイドパーク

昼を少しまわったころ、チャーリーのカフェを出て、来た道をエセルのアパートの方へ戻っていった。

でもアパートは通り過ぎて、やや下り勾配のストリートをハドソン川のほうへ向かって歩いていった。

マンハッタンで最も西側のアベニューであるウエストエンドの交叉点を渡ると正面に急角度の階段があって、それを20段ほど下りると公園の入り口がある。

そこはリバーサイドパークといってハドソン川とウエストエンドアベニューにはさまれた延々数十ブロックの大公園である。

私は朝夕となくこの公園を散策するのが好きだった。

こちらへ来て間もないころ、一日がかりでマンハッタンの街をあるいたことがある。

そのとき驚いたことは、天を突くようにそびえ立っている高層ビルの数もさることながら、この街にある公園の多さと広さである。

歩いても歩いても尽きることのないセントラルパークは別格として、街のいたるところ広くて緑豊かな公園がある。

ニューヨークといえば、ともすれば人種のるつぼとか、摩天楼とかだけが前面に出たがるが、それにも増してPRされてもよいのが、この公園の数と大きさではないか。

その頃の私はこの街についてそんなふうに思っていた。

公園に沿ってハドソン川が流れている。

水量が多くて、いかにもゆったりとした流れである。この川を一日何回かのマンハッタン島一周の遊覧船が通る。

周囲を海と川に囲まれたマンハッタンは、この船に乗るとうまく一周できるようになっているのだ。

いったい船から見るマンハッタンはそんなものだろう? きっとすばらしいに違いない。

前々から一度この船に乗ってみようと思いつつ、まだ果たしていない。

早く乗ってみたい! 来るべきその時のことを想い私の胸は弾んだ。

川の対岸にはニュージャージーの街並みが広がっている。

高層ビルのマンハッタンに比べると低い建物が多く、緑も豊かで、いかにも閑静な住宅地であることがこちら側からもうかがえた。

チャーリーの話では、このところ犯罪の多いニューヨークから、このニュージャージーへ移り住む人が多いそうだ。

そのことをニューヨーク市長は大変残念がり、防止するのにやっきになっているとのことである。

市長ならずとも、市民なら誰しも残念に思うだろうと、このことに関しては私とチャーリーの意見は一致していた。

                                                                           to be continued

天才はなぜ夭折するのか?

私はクラシック音楽ファンなのだが、例えばモーツアルトやショパン、シューベルト、メンデルスゾーンなどの曲を聞くたびに必ず思うことがある。

それは彼らのあまりにも短い人生についてである

彼らはまさに「天才は夭折する」という説そのままの短命であったのだ。

また日本の文学作品を読むときにも同じことを思う。

以下、主だった名作曲家と日本文学の作家についての没年齢を低い順に並べてみる。

作曲家
「乙女の祈り」のパダジェフスカ(27歳)、23歳という説もある。
シューベルト(31歳)・モーツアルト(35歳)・ビゼー(36歳)・メンデルスゾーン(38歳)・ショパン(39歳)・シューマン(46歳)・チャイコフスキー(53歳)・ベートーベン(57歳)

(例外)バッハ(65歳)、リスト(75歳)、ハイドン(77歳)、シベリウス(90歳)

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日本の作家
樋口一葉(24歳)・石川啄木(27歳)・小林多喜二(30歳)・織田作之助(34歳)・(芥川龍之介(35歳)・太宰治(37歳)・宮沢賢治(37歳)・三島由紀夫(45歳)・夏目漱石(49歳)・坂口安吾(49歳)

天才と呼ばれる人たちのこうした早死の原因についてはいろいろな説があるが、まず挙げられるのが当時の医学がレベルが低かった点である。

例えば「ショパン」とか一部の日本の作家たちには「肺病」を抱えたいた人が多かったが、今と違って抗生物質がなく、現在では救われている命も、当時としてはかなわなかったのである。

さらにこうした天才と呼ばれる作曲家、作家には精神的な病気を抱えている人も多く、そのため自殺という形で自ら命を絶った人も少なくない。

でも別の見方をすれば、そうした病気を抱えていたからこそ、健康な人にはない優れた感性を備えていたのだとも言えるのである。

また短期間に多くの作品を生み出したため、エネルギー消費が多く、体力消耗による疲れから普通の人より病気にかかる確率が高かったのでは、と考えることもできる。

こうした様々な要因が、いわゆる「天才夭折説」を形成しているのではないだろうか。

さいわいにも長命を与えられている私などの凡人としては、たとえ現役引退の身であろうとも、自堕落で無為に時を過ごすのではなく、意味があると思われることには積極的に取り組み、少しでも生産的な人生を過ごしたいものである。

そうでなければ無念な思いで早死にを遂げ人たちに申し訳ない。

2010年11月1日月曜日

いま、再び「ハングリー精神」が必要な時代なのではないのだろうか・We need hungry spirits again.

今からもう20年近くも前、それほど長い期間ではなかったと思うが、一時期、日本に多数の「ボクシング世界チャンピオン」が誕生したことがあった。

それは幾つもの階級にまたがった日本ボクシング界始まって以来の多くのチャンピオンの数であった。

ボクシングと言えばその練習の想像を絶するほどの激しさに普通の神経の持ち主では到底ついてくことができず、唯一ハングリー精神の旺盛な者のみがそれに耐えることができ成功への鍵を掴むことができるのだと、当時よく言われていたものだ。

しかしそうした傾向も今ではすっかり陰をひそめ、チャンピオンどころか、このスポーツに参加する若者自体が自体大幅に減ってきているようだ。

その最大の理由は何かといえば、今の若者にはハングリー精神を持つ者など、まったくと言っていいほどいなくなったからなのではないだろうか。

ではそのハングリー精神とはいったいどういうものなのであろうか。

英語では「hungry spirits」というのだが、つまり「満たされた気持」でいるのではなく、常に「欠乏感」を抱いていて、その感情を埋めるために目標に向かって日々努力する精神のことを言うではないだろうか。

こうした観点に立って考えれば、ハングリー精神がなくなったがゆえに増えたものが「フリーター」とか「ニート」なのであると言えるのではないだろうか。

なぜならば、彼らはハングリー精神どころか、子供時代から経済的に恵まれた環境で育ったせいか、「苦労せず楽をして金儲けしたい」という意識が強く、苦しいことに耐えていくことのない言わば「努力不足」の状態を長い間続けており、それが今の不幸な結果を招いていると考えられるからである。

私自身のことを振り返ってみても、自分の子供を持ってからその成長過程でよく思ったものだ。

「高度急成長期の物質文明のさなかにある今、子どもたちが望むものはほとんど買い与えられ、まるで我慢をすることを知らない今のこの子供たちは、大人になったらきっと苦労するに違いない」というふうに。

そしてそれはほぼ現実の姿になった。

ほしい物があると親に頼む、そうすれば望むものはほとんど買い与えてくれる。

したがって我慢しなくてもいい。

そしてそれを得る為のたいした努力もしなくていい。

その結果無くしたのは我慢するという精神であり、そして、欲しい物を得る為の強いモチベーションになる「ハングリー精神」の欠如という状態になったのである。

今日本は不景気の真っ只中にある。

円高も止まることを知らないほど進行している。

天文学的とも言える額の「財政赤字」も抱えている。

果たしてこれらの悪条件から脱出するための、その力となるものはいったい何なのであろうか。

それは決して補正予算を組んでの目先の経済対策だけでなく、日本人の精神改革、つまり日本再生の為には今再び「ハングリー精神」を取り戻すことが必要なのではないだろうか。

しきりとそういうふうに思う今日この頃なのである。

1970、NewYork city「西97丁目」の思い出(Ⅲ)・チャーリーのカフェ

 
場末のカフェ
  このところずっと、朝起きるのが遅い。

ともすれば昼過ぎまでベッドの中へいることもある。

ホテルのフロントの仕事で夜が遅いので、ある程度は仕方ないとしても、なんとかもう少し早く起きなければと、自分ながら思っていた。

昼前に外へ出て、いつものようにコロンブス街の角にあるチャーリーのカフェへと向かった。

この二週間位は二日とあけず通っているので店主のチャーリーもすっかり打ち解けてきていた。

初めて彼の店いったとき、チャーリーは私に向かって「Are you Chainese?」と聞いた。

なんで「チャイニーズ」なんだと、私は少し不機嫌な表情で「No,I'm Japanese」と、やや語気を荒げて応えた。

そんな私を見て、なぜこんな些細なことで「ムキ」になるのだろう?とでもいうふうに、チャーリーはポカンとした顔をして立っていた。

そんな彼を見て、しばらくして私自身もそんな応え方しかできなかったことに対して、何か恥ずかしさのようなものを感じてきた。

考えてみれば、我々日本人だって、西洋人を見ただけで、その国籍までわからないではないか。

それも特に、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人の三者を外見から判別するのは至難のわざだ。

それと同じように西洋人にとっても東洋人、特に日本人、中国人、韓国人を判別するのは、また困難なことなのに違いない。

そう考えていると、なにかチャーリーに対して悪いことをしたような気がして、おべんちゃらのつもりで、欲しくもないチェリーパイを追加で注文したりした。

そしてこれからもできるだけこの店へ来るようにしようと、そのとき心に決めていた。

それからの私はほぼ毎日のように足しげくチャーリーのカフェへ通っていたのだ。

マンハッタンのややアップタウンのはずれにあるこのカフェで、彼との交流はその後ずっと続いた。

チャーリー・バックマン、出身はカナダのモントリオールだとその後聞かされたが、肌の色などで人を分け隔てしない、本当に気のいい白髪で赤ら顔をした中年の男だった。

                                                                                                       to be continued