2010年11月17日水曜日

相次いで消えていった商都大阪の二つの名門ホテル

ホテルプラザ

大阪グランドホテル

関西の人はすでのご存知だと思うが、この10年ほどの間に大阪を代表する二つの名門ホテルが消えていった。

それは各々50年と30年の歴史を持つ中島の「大阪グランドホテル」と大淀区の「ホテルプラザ」である。

「大阪グランドホテル」が2008年閉鎖、「ホテルプラザ」はそれより9年前の1999年の営業停止であった。

9年という違いはあるが、これら二つの大阪の名門ホテルが、20世紀終わりから21世紀初頭にかけての約10年の間に相次いで閉鎖されたのは何かの因縁であろうか。

実は私は20代から30代にかけて、ホテルマンとして十数年間この両方のホテルに勤務していたのである。

まず大阪グランドホテルだが、その開業は日本が高度急成長時代に入って間もない1958年である。

今このホテルの歴史を振り返るうえで忘れられないことは、開業当時このホテルには現在は押しも押されぬ大作家である若き日の「森村誠一氏」がフロントマンとして働いていたことである。

わずか一年だけの在籍で、その後東京のホテルへ転属していったのだが、氏は折にふれて、エッセイなどで大阪でのこのホテルで勤務しながら小説修行に励んだのことについて書いているいる。

今でこそ大阪には立派なホテルは数え切れないほどあるのだが、当時のホテルといえば帝国ホテルの設計者でもあり、日本でも有名なアメリカ人の「ライト氏」が設計したという「新大阪ホテル」ぐらいで、その後数年してやっと大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)ができた程度であったのである。

私が入社したのはちょうど森村誠一が去った直後の1959年のことであった。

開業からまだ一年しか立っておらず、それまで見たこともないような新しくて設備の整ったな近代的ホテルであった。

そこで私は客室係、ナイトボーイ、フロントオフィスと所属をかえながら約7年間勤めた後、新しく中島に建設された同じ住友系列の「大阪ロイヤルホテル」(現リーガロイヤルホテル)へと転属したのであった。

大阪ロイヤルホテルといえば当時まだ数少なかった大阪の高層ホテルに先鞭をつけた数少ない高層建築で、新聞などにも大きく取り上げられ、当時、民衆から大きな注目を集めたことを今でも覚えている。

それから3年ほどたって、1969年は大阪で開催された世紀の大イベント万国博にあわせてに開業した「朝日放送」系列の「ホテルプラザ」に当時の上司に引っ張られて一緒に転属していったのである。

ホテルプラザは23階建の外観からしても超近代的なホテルで、このホテルも開業時には大きな評判になったものである。

JRの電車からも一望できる大阪福島区の「朝日放送」の建物に隣接したスマートでシャープな外観をもつこのホテルは開業してしばらくの間は大阪人の注目の的であった。

私は万国博開幕時にはフロントマンとしてこのホテルに勤めていたのだが、普段だと決して会えることがないと思える「万博」に訪れた世界中の多くの有名人と接触することができた。

その当時のことを綴り社内報にも載った「私の夜勤日誌」という記事が残っているので、その一部ををここに引用することにする。

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[○月○日]

三月も余すところあと数日になって、このところ気温も急上昇してやっと春らしくなってきた
今日から万博にちなんで「国際映画祭」の開催だ。

世界各国の映画関係者の予約がワンサと入っている。

そう言えばつい先ほど世紀の大女優く「クラウディーナ・カルディナーレ」がチェックインしたようだ。

とてもきれいだ。それになんと言っても大女優としての風格がある。

そうだ、明日は明日でアメリカの超人気エンタテイナー「サミーデイビスジュニア」の予約も入っているではないか。

ああ、EXPOはまだ開業したばかりだ。

180日の大ロングランで先はまだまだ長い。

月12回もの夜勤に、果たして体は耐えうるだろうか。

せいぜい摂生して、スタミナづくりに努めねばならない。
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それから30年後に、この「ホテルプラザ」は過当競争に敗れ惜しくも営業停止を余儀なくされたのである。

そしてそれから10年後、今度は「大阪グランドホテル」が建物老朽化のために50年間続いた営業に終止符を打ったのであった。

大阪を訪れた多くの有名人たちに愛されたこれら二つの名門ホテル、今はもう訪れることもできなくなってしまったが、「日本のホテル史」にも長く名を留めると思われ、「思い出ばなし」はきっと末永く語り継がれていくことであろう。

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