2011年1月27日木曜日

「動物の地震予知能力」は本当にあるのだろうか?・Earthquake Prediction By animal behavior


世界に名だたる「地震大国」日本であるが、あの忌まわしい「阪神大震災」以後、二度とああしたおびただしい数の死者を含む大被害をこうむらないために、国はいったい予防の為の地震予知に対してどれぐらいの予算を使っているのだろうか?

数億円、あるいは数十億円だろうか。

それとももっと多く数百億円にも達するのであろうか。

これについては「予知」のためばかりではないが、地震に対する総合的な調査費として、各省庁にまたがっているが総額で100億円を越えることは間違いないようである。

わが国の名だたる地震学者が集まって科学の粋を集め、潤沢な資金をもとに日夜地震予知調査に励んでいるのであるがその成果の方は今のところ明らかではない。

さて本日のテーマは同じ地震予知に関してではあっても人が科学的な方法で行う調査ではなく、動物による伝統的な「地震予知調査」についての話題なのである。

日本と同じように地震の多発国である中国では、近代的な科学的手法による調査ももちろん行われているのだが、それに併せて従来からの伝統的な方法である「動物」を使った地震予知調査にも相当力を入れている。

例えば寒いさなかの真冬に「蛇」が人目に触れるところへ現れたら人々はどう思うだろうか。

てっきり石垣の隙間や地中にもぐって寒さをしのいで冬眠を続けているあの「蛇」がである。

中国の動物による地震予知の専門家は、こうしたことを目撃したら、それを「「地震の前触れ」だと考えるそうである。

なぜなら外へ出たら凍死しかねない真冬に蛇が外界に出てきたのは、地中の温度が急に温かくなってきたからであり、それゆえ季節が変わったと勘違いしての行動であると考えるからである。

つまり、マグマの活動が活発になって地熱が急に高くなったのだと考え、そのことを指して地震の前触れだというのである。

さらに専門家は「馬」が急に後ろ足で立ち上がっていなないたり、「犬」が遠吠えを止めなかったり、「ネズミ」大挙して住みかを移動したり、「池の魚」が頻繁に飛び上がったりすることも地震の予兆であるそうである。

一般に動物は人間に比べて音に対する関知能力が非常に優れており、人間だと決して関知できないような微かな地鳴りの音でも鋭く捉えることができ、それが普段と違う異常行動を起こすのだと考えるのである。

つまりそうした動物の行動は地鳴りが発生しているのが原因であるから、そのことによって地震の
予知とするのである。
                    「高校英語 MILESTONE Ⅱ」参照

では最後にこうした動物の異常行動について阪神大震災の際に実際にその現象を目撃した人々の証言を載せておくことにする。

これらの証言に接して、動物の地震予知能力の有無やその真偽についてはあなたの判断に任せることにしたい。

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証言1 ほ乳類

数分前、近所の飼い犬が激しく吠え立てた。
(羽曳野市・男)

証言2 鳥類

地震15分前、向かいのマンション屋上にカラスが群がり、けたたましく鳴いた。
(神戸市灘区・主婦)

当日の早朝、いつも餌をとりに来るカラスやスズメが、1羽も姿を見せなかった。
(西宮市・主婦)

証言3 魚類

前日の岡山後楽園の池中央に、ナマズ40匹がたむろしていた。
(山口市・会社員 )

5時間前、アマゾンナマズが突然暴れ出し、手がつけられない状態だった。
(豊中市・会社員)
       
             インターネット「地震予知読本・動物は警告する」より

2011年1月26日水曜日

なぜ日本の新聞代は高いのか?・日米英「新聞価格」比較

アメリカの新聞日曜版

いま先進国を中心にすごい勢いで新聞離れとその発行部数減少が進んでいる。

原因は言わずとしれたインターネットとリーマンショックの影響である。

まずインターネットであるが、今ほとんどの新聞はネットに独自のサイトを設けており、毎日の新聞の主要記事はそれを通して無料で自由に閲覧できる。

私などはあつかましくも普通紙三紙と経済紙一紙を同時に「四分割画面」に出して一度に読んでいるのである。

こんなことされては新聞社としてはたまったものではないだろう。

こうしたインターネットへの移行による購読者減少はリーマンショックによる世界同時不況の影響と併せ広告収入の大幅減少へと繋がって行ったのである。

ところで、今回のタイトルである「日米英3国の新聞価格」と「ボリューム」であるが、それについては下の数字を見て欲しい。

【新聞価格比較】
     
      読売新聞   ワシントンポスト
店売り    130円     40円
一ヶ月        3925円    450円

その他   ・ 英国フィナンシャルタイムズ
                      7ヶ月で50ドル
                    ・ウォールストリートジャーナル
                      1年で99ドル
                   ・ニューヨークタイムズ
                                          1ヶ月2500円

【新聞ページ数比較】

ウォールストリートジャーナル   50ページ
ワシントンタイムズ            76ページ
ニューヨークタイムズ          96ページ
読売新聞                  40ページ

             インターネット「日米新聞比較」より

上に掲げたように店売り価格、月ぎめ価格いずれをとっても日本の新聞の価格が欧米2国を大きく上回っている。

さらに「一部あたりのページ数」においても値段の高い日本の新聞の方が大幅に少ないのである。

これでは日本の新聞社はまるで利益第一主義のようではないか。

新聞離れが進む現在、新聞各社はこうした評判の悪い点を早急に改めて、ひたすら【新聞ばなれ」という悪い方向へと進んでいる状況に歯止めをかけなくてはならないのではないだろうか。

なんと言っても「新聞」というメディアは昔も今も良識の府であるはずで、世の中の中立と公正を守っていくためには、なんとしてもその地位を守り続けなければならないはずである。

そのためにも今後インターネットに伍する新聞業界の健全な成長を願うばかりである.

2011年1月24日月曜日

生活のペース国際比較

歩くスピード
まず下の数字を見て欲しい。

これは少し前になるが高校の英語教科書に載った世界6カ国の生活のペースについて3項目の順位を表す表である。

世界6ヶ国の生活のペース比較(順位)

       銀行の時計の 歩く   郵便局の
       正確度     スピード スピード

日本      1      1      1
米国      2      3      2
英国      4      2      3
イタリア     5      4      6
                  台湾      3      5      4
                 インドネシア   6      6      5

                 MILESTONE 英語(Ⅱ)より


表を見ていただくと分かるようにこれら三つの項目とも調査時点では日本がトップを占めている。

まず「銀行の時計の正確さ」であるが、これは何と言っても人様のお金を預かるところである銀行としては信用第一で、何はさておいても正確さは第一にしなければいけないので、日本ならずともどこの国でもこれが正確なことは当然ではないのだろうか。

次は「人の歩くスピード」であるが、これについては最近インターネットにまったく違ったデータが載せられているので下にそれを掲げておく。

歩くスピード国際(都市)比較(18メートルの距離での調査)

1位シンガポール 10秒55
2位デンマーク・コペンハーゲン 10秒82
3位スペイン・マドリード 10秒89
4位は中国広東省広州(10秒94)
5位はアイルランド・ダブリン(11秒03)
6位ブラジル・クリチバ(11秒13)
7位ドイツ・ベルリン(11秒16)
8位ニューヨーク(12秒00)
9位オランダ・ユトレヒト(12秒04)
10位オーストリア・ウィーン(12秒06)
以下
ロンドン 12位
パリ 16位
東京 19位
         インターネット「歩くスピード国際比較」より

この調査によれば日本(東京)は19位と大きく後退しているのである。

考えるに、最初に掲げてある表は1990年ぐらいの日本が高度急性長期のさなかのものであり、後のものは成長期を過ぎていわば成熟期にはいってからのものである。

大きく順位を下げているのはそのせいで、つまり人間の歩くスピードはその時代の社会的背景によって違ってくるのではないのだろうか。

最後は「便局の業務処理」のスピードであるが、これはもう今も昔も日本ほど速い国は他のどこにもないのではなかろうか。

アメリカをはじめ外国の郵便局を利用したことのある人だとよく分かると思うが、その能率の悪さといったら、まったくうんざりしてしまうことが多いのが外国の郵便局である。

この点だけは日本が世界に向かって大いに自慢していいことの一つである。

総じて言えば歩くスピードはやや後退してきたが、他の2点で他国を上回っていることは、自慢するほどではなくても誇らしいことではないだろうか。

とにかく何ごとをするにしても「スピーディで正確」なことはいいことなのである。

2011年1月22日土曜日

「財政赤字カウンター」を見ていると怖くなってくる・刻々と増え続ける日本の借金」


あななたはインターネットサイトにある「財政赤字カウンター」というものを見たことがあるだろうか。

私のブログでも2010年11月7日の「各家庭にお一つづつ財政赤字カウンターをどうぞ」というタイトルの記事にその実物をLINKしてあるのだが。

今借入金と政府短期証券を含む日本全体の債務残高は約1124兆5000億円でありに国民一人当たりにすると882万円なる。

この金額にかかる利息がこの財政赤字カウンターに秒単位で刻まれていくのである。

これを見ていると刻々と変わっていくその数字は増加していくリアルタイムの赤字額であり、

それは私たちの日常生活には出てこないような桁数の多いとてつもなく大きなな数字なのである。

その利息の増え方と言ったら尋常ではなく、1秒間になんと84万円ずつ追加されていくのである。

ということは1分で5040万円、10分だと五億4百万円にもなるのである。

これは実に恐ろしいことではないか。

下に挙げたのは世界の国の財政赤字ランキングである。

2位にあるギリシャが財政危機に陥りIMFや他国からに資金援助を受けたというニュースはまだ耳に新しい。

続いてアイスランドやポルトガルなども近い将来危機に陥る可能性が高いといま世界中で取りざたされている。

では8位の日本はどうなのかといえば、それら深刻な状態にある国々に比べGDPの額が桁違いで、一律に比較することはは難しいのだが、対GDP比率は8番目といえ、額は米国に次いで高いのだから決して安閑とはできないのではないだろうか。

米国の方が高いと言っても、ドルという基軸通貨を持つ国であるし、また名だたる資源国でもあって日本とはまるで事情が違う。

財政赤字国際ランキング(対GDP)
1位 アイスランド 15.7%
2位 ギリシャ   12.7%
3位 英国     12.6%
4位 アイルランド 12.2%
5位 米国     11.2%
6位 スペイン    8.2%
7位 フランス    8.2%
8位 日本      7.4%
9位 ポルトガル   6.7%
10位 カナダ     4.8%

インターネット「財政赤字ランキング」より

多くの経済評論家はいまのGDP水準が落ち込まない限り今すぐ危機が訪れることはないと比較的楽観的だが、
子供や老人も含めて1人当たりの借金額が882万円というのはあまりにも大きな金額であり、人口はこの先減少傾向が続くとなれば利息の増加と合わせてこの金額はますます増えていくのである。
これはけっして楽観していられる状態ではないのだろうか。
とにかく国民一人一人が現在のこの数字をしっかり認識し、今後の推移を注視していき、少しでも額が減るように念じていかねばならないのではないだろうか。

Link 財政赤字カウンター
http://www.kh-web.org/fin/

2011年1月21日金曜日

会社の朝礼 「社訓」や「社是」の唱和は今も健在なのだろうか・今は懐かしい電通 「鬼の十訓」


会社の朝礼といえば全員が起立して行う「社訓」や「社是」の唱和というものがある。

これは会社の理念や目的に対して社員の変わらぬ意思統一をはかるためと、もう一つは朝一番にその日の仕事に向かって気合を入れることにあるのだろう。

この唱和に当たっては元気のいい大きな声が求められ、間違ってもボソボソとした小さな声は禁物である。

特に営業関係の部署では、朝一番その日の営業活動に勢いをつけるという意味もあって、かなり気合の入った朝礼風景が展開されているようである。

以前の私が勤めいた会社のオフィス一階下のフロア—に住宅リフォームの会社が入っていて、そこでは毎朝9時前に朝礼が行われており、その様子が毎朝階段の通路を伝って聞こえてきたのだが、その凄まじいほどの声のボリュームはそれまで聞いたこともないほど強烈なものであった。

多分営業マンを対象とした朝礼であったのであろう。

大勢の男性社員が「会社の営業のスローガン」らしきものを唱和する声はビル全体に響き渡るぐらいの驚くほどの大声で、その中には時おり「怒声」や「罵声」も混じっており、聞くに耐えないぐらいの実にすさましいものであった。

さいわいその時間帯は私の会社は始業前であったのだがそうした過激とも思える階下からの声が聞こえてくると、オフィスいた私の会社の者は思わず苦笑を浮かべていたものだ。

さて、「社訓」とか「社是」の話となるとどうしても避けて通れないのはかの有名な広告会社「電通」の「鬼十訓」である。

これはまさに営業社員に向けた「訓辞の古典」と言えるほど随分前に作られたものだが、特に営業関係の仕事に携わるものにとって公開当時はバイブルと言っていいほど実に有益なスローガンであったのではないだろうか。

ではそれを下に挙げてみることにする。

電通鬼十訓
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
                                    インターネット(社訓・社是)より

さて、どうでしょうか皆さん。

私自身は10項目の内2〜3項目はやや感覚的に今の時代にそぐわないと思われるものがあっても、2番、9番、10番にはすごく共感がわき、すぐにでも実行に移したいと思うくらいなのである。

ただこれが作られた時と現在では時代背景が大きく違う為、その他の項目の一部例えば5番、6番のように多少過激すぎる文節があり、そのメッセージが行きすぎた営業活動を生む下地になると思われる一面もある。

それはつまり、勢いあまって強引な販売とか無理な販売につながる恐があるということである。

したがって先ほど紹介したリフォームの営業会社の朝礼のような過激で、ともすれば反社会性をも感じさせられるようなものは、今の成熟社会にはそぐわないのではないだろうか。

こうした観点に立てば、特に社歴の古い会社にあってはその社訓、社是などがはたしては今の時代にふさわしいものであるかどうか、一度見直してみる必要があるのではないだろうか。

2011年1月19日水曜日

給料は「貰うもの」ではなく自ら「稼ぎ出すもの」である


Sさん(35歳)の給与明細

おそらく高度急成長時代だと、誰も今回のこのタイトルのようなことは考えてもみることもなく、「給料なんかほっといても入ってくるもので、しかもその額は年とともに自然にドンドン上がっていくものだ」というふうに考えていた人は多かったのではないだろうか。

しかしそんな時代はとっくに去ってしまって、今や空前の就職難時代になってきたのだ。

それ故に給料を貰うどころかそれに必要な就職の糸口さえ掴むことが出来ないような社会になっているのである。

これに関して以前私のいた会社の上司が朝礼で言っていた言葉を思い出す。

「いつまでもあると思うな、親と給料」

今になってこの言葉の意味は実感として実によくわかる。

でもよく考えてみればこれはごく当然のことなのである。

もし「給料は貰うもの」と考えている社員ばかりの会社だと、はたしてその先どうなるであろうか。

結果は明らかで、こうした会社だと好景気にわく時はまだしも、少しでも不況になると業績は一気に悪化してくるのではないだろうか。

つまり「貰う」とか「支給される」とかいう受身精神の社員ばかりだと「稼ぎ出す」という積極性がなく、自分の給料を稼ぎ出すどころか、会社自体の利益をあげることも難しくなり、次第に業績は悪化しそのうち存続さえ危うくなっていくのではないだろうか。

したがって、長期にわたりいつまでも安定した給料を得ていこうと思うなら、まず給料は貰うものでなく、自らが稼ぎ出す物である。というふうに考えを改めるべきではないだろうか。

ある会社で新人の営業社員を前にその会社の社長が話していた。

「どうか皆さんはこの会社に雇われているという考えではなく、場所と設備とノウハウを借りて自分で商売をやっていると考えてください。

そうすれば自分の商売だから当然利益を上げるということに熱心になり、その結果皆さん自信も報われてきて、会社にとっても利益になるのです。

今日から皆さん一人一人は○○商店や△△商店の経営者です」

どうかこの精神を忘れずにご健闘ください」

これは実に的を得た訓話ではないか。

これだと誰も給料は貰うものではなく自ら稼ぎ出すものだとはっきり自覚できるではないか。

そういう自覚に基づいた積極精神を持っている者なら、幾ら不況時代だとは言え、どこの会社でも門戸を開いて喜んで社員として採用してくれるのではないだろうか。

私はかつての会社の上司からこんなことを聞いたことがある。

「営業マンは最低自分の給料の4倍ぐらいは利益を稼がなければいけない。3倍ぐらいだとトントンだ」

それを聞いて以来ずっとそれを守ってきた。

今後もう二度とかつての高度急性長期のような好景気にわくことはなく就職へのハードルはますます高くなっていくに違いない。

しかも多くの会社では直接利益を生み出すことが出来ない間接部門の事務社員を大きく減らす傾向にある。
こうしたことも加えて、就職への間口は年々狭くなっていくばかりである。

こうした厳しい状況下で、これから就職しようという若者はぜひこの「給料は自分で稼ぎ出す」という積極精神を身につけて欲しいものである。

それこそが、会社を長く存続させ「自分の給料」を守る道なのであるから。

2011年1月18日火曜日

1970,NewYork City「西97丁目」の思い出(10)・スタットラーヒルトンでの私の職務


フロントオフィス「ルームクラーク」としての私のルーティンワークのひとつに「ルームインスペクション」という業務がある。

これはその日客が出発して本来なら空室になる予定でありながら、午後3時に流されてくるハウスキーパー(客室係)からのレポートにオキュパイド(使用中)と示さ

れたルームナンバーをピックアップして別のリストに書き出し、マスターキーを持ってその客室を一つづつ開けて室内をチェックする仕事なのである。

2000もの客室のあるこのホテルでは毎日そうした部屋は100室以上もあって、各フロア—にまたがったそれらすべての部屋をチェックし終えるには、どんなに速くやっても2時間を下回ることはない。

私はこの仕事のやり方を先輩の同僚であるアーリーについて覚えた。

アーリーは白人とペルトリコ人の混血の明るくて大変気のいい男であったが、非常に女好きで私と一緒に館内を歩いている時でも側を女性がが通るときまって口笛をピューと鳴らし、舌で唇をなめなら「ブチュブチュ」とういかにも卑猥な響きもつ音を発して女が通り過ぎて行った後もいかにも名残惜しそうにずっとその後姿を目で追っているのである。

いつもそんなストレートな表現が出来る男であった。

そんなアーリーだったが私にはまじめに、しかも丁寧に仕事を教えてくれた。

彼はまず「目的の部屋の前に立ったらドアを3回ノックするのだ」と言った。

そして返事が無かったら(ほとんどそうだが)マスターキーで鍵を開ける。

そして部屋へ入るや否や大きな声で「セキュリティ エニボディホーム?(保安係です。どなたかいらっしゃいますか?)と言わなければいけない。

その理由は万一中に客がいた場合、突然黙って人が入り込んでいけば強盗にでも踏み込まれたのではないかと相手がびっくりするからなのだ」

アーリーは私にそのように説明してくれた。

部屋に入って中を見渡し客の荷物の有無を確認し、荷物が無ければ持参したリストにV(vacant),もしまだ荷物があればO(oqupaied)をるーむなんば—の横に記すのである。

3時の時点ではまだオキュパイドであった客室もこうしてチェックして廻る時間にはほとんどの部屋は空いており、まだ中に客がいたり荷物が残っている部屋は全体の1割ぐらいでしかなかった。

チェックの終わったリストのルームナンバーの横には、たまにある「O」とう字を圧倒してズラーと「V」の字が並んでいた。

体を動かすことが主体のすごく単純な仕事であり、私は一日でその業務の要領を飲み込んだ。

2日目は私の仕事をチェックする為、今度はアーリーが後ろへついて廻った。

あと10室ぐらいを残してその日のチェックもそろそろ終りに近づいてきたとき、部屋に入ってキョロキョロとあちこち見まわしていた私を、窓際に立って外を見ていたアーリーが突然呼んだ。

何ごとかと私が近づいてくと、アーリーは向いの部屋を指差して「あそこを見てみろ」と言った。

スタットラーヒルトンの客室は一部フロア—がコの字状になっており、そこに位置する部屋は5〜6メートルぐらい隔ててお互いの窓が向かい合っているのだ。

アーリーが指差したのはそうなった部屋の向の窓であった。

「カーテンの隙間からポリスのユニフォームが壁に吊ってあるのが見えるだろう」

アーリーは私の目をそちらへ向けさせてから言った。

「多分あそこへはジミーというポリスが女を連れ込んでいるんだ。

彼はこの辺を管轄する21分署で風紀係の担当だが職権を利用していつもその辺のストリートガールを連れてああしてしけ込むんだ。

もちろん女も客室もロハだ。

時々このヒルトンでも客とコールガールがトラブルを起こすことがあり、そのときあのジミ—に処置を頼むのでその見返りに部屋をて提供しなければ仕方がないのだよ」

アーリーはいかにもいまいましいといった口調で私にそう話して聞かせた。

私も過去に何度か映画などでアメリカのポリスの腐敗ぶりを見聞きしてはいたが、今こうして窓の側に吊ったポリスの制服を見ながらアーリーの話を聞いていると現実は聞きしに勝ってひどいものであるかもしれないと思えてきた。

そしてこの前のパーティで会った商社マンの渡瀬の話もそうだったが、ここニューヨークでは窓から見える向こう側の部屋についての話をよく聞くものだ、と思ったりもした。

                                                                                          to  be continued

2011年1月16日日曜日

「日本・中国・韓国」3国の学生「英語力比較」・ English language skill of 3-countries,Japan, China ,and Korea.

1月5日付のブログに「激減したハーバード大学日本人留学生」というタイトルの記事を書いたが、

その時には触れなかったのだが、ハーバードの留学生数でアジア他国の学生数に大きく水をあけられた原因にの一つに、日本の学生に比べて中国と韓国の学生が急速に英語力をつけてきたことがあるのではないだろうか。

留学といえば避けて通れないのはTOEFL(トーフル)のテストである。

「TOEFL」とは英語コミュニケーション能力を試すテストで留学生の適正をはかるのに欠かせないものである。

つまり英語圏の大学で授業を受けるに足る英語力をつけているかどうかを測るテストなのである。

そのテスト結果の近年の数字を眺めてみると、他の2国がどんどんスコアを挙げているのに対して日本の学生の成績はどうも芳しくなく、次第に大きく水をあけられてきているのである。

まず下の数字を見て欲しい。

日本人・中国人・韓国人のTOEFL平均スコア比較

(1987-89)            (1997-98)
日 本 485点      498点〔+13点〕
中 国 509点      560点〔+51点〕
韓 国 505点      522点〔+17点〕

国際文化学と英語教育』阿部美哉編国際教育交換協議会日本支部代表部 TOEFL事業部

今から十年前ぐらいの調査でデータとしては決して新しいとは言えないが、実態を測る為の資料としてはじゅうぶんだと思える。

というのもその後の中韓両国の英語教育に対する力の入れ方から考えてもその後日本との実力差が縮まっているとは思えず、むしろ一層拡大しているのではないかと思えるからである。

またこの他の資料として民間の組織である「ベネッセ」と「国際基督教大学」の共同調査による高校生の日中韓3国の英語力調査についての結果報告もある。

以下はその調査レポートである。

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3国のほぼ同じレベルの高校1、2年生計約1万3600人を対象に「読む」「聞く」「書く」の英語力を測ったところ、中国学生は800点満点に432.6点で、最も高い点数を取った。

韓国学生は平均414.1点、日本学生は407.9点だった。

中国学生は3部門でまんべんなく高い成績を取っているが、韓国学生は読み取りと聞き取りには優れているが、作文の実力で遅れをとっている。とりわけ、作文では160点満点に51.5点を取り、日本高校生(84.8点)にも大きく遅れをとった。

こうした結果について調査機関は「韓日高校生のこうした英語力は、ホームステイや海外旅行のとき、実際に英語を使えるレベルのもと」と評価した。一方、英語習得への意欲でも、韓国学生は実際に取った自身の点数とは関係なく、スピーチ・ディベート・ホームページ作りなどで、英語を積極的に活用できると回答し、他国の学生より英語に自信を持っていることが分かった。
インターネット「日中韓3国の英語力比較」より

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こうした二つの調査の事例でわかるように、どう見ても日本の英語力は他の2国に比べて劣っているようである。

こうした現実が先日のブログの「激減したハーバード大学日本人留学生」のように留学生の数で中国、韓国に大きく水を開けられてきている原因になっているのではないだろうか。

現在の日本は先人が残した過去の遺産のおかげで、世界の知の象徴と言われる「ノーベル賞」で、アジアNO.1受賞者数を誇ってはいるが、昨今のこの英語力の差は近い将来においては地位の逆転もじゅうぶん考えられることではないだろうか。

その点は大いに危惧されるところである。

さいわい本年度2011年新学期からいよいよ小学校での英語教育が本格的にスタートすることになっており、これを機に日本の英語学習への機運がいっきに盛り上がってきて欲しいものである。

2011年1月15日土曜日

すばらしく充実してきた・ネットの「電子書籍」サイト

デジシェルフ
上の写真は最近人気急上昇中の電子書籍サイト「デジシェルフ」の画像レイアウトである。

「shelf」というその名の通り、収録作品「本棚」をレイアウトしたものである。

この中にはもうかなり前からネット上にあり大人気を博している「青空文庫」に収録されている作品約9000点やアメリカの電子書籍サイト「project gutenberg」から洋書を中心に30000冊という膨大な数の作品が入ってはいるのである。

これらの作品は読むに際して紙の本のページめくりの感覚を少しでも残そうと、指でタッチしてページをめくる方式を採用しており、紙の本に比べてできるだけ違和感を感じないようにも工夫されている。

最近私はこれを使って林芙美子の放浪記を読んだが、長い作品ではあったが別にたいした違和感も感じることなく無事に読み終えることが出来た。
青空ビューワ

このサイトの他にも先ほど紹介した「青空文庫」そのものの名前を取った「青空ビューワ」というものや文庫本専用の「文庫ビューワ」などもある。

それらに加えて新刊書も多く入っている「google books」や、その他電子書籍専門の多くの他のサイトを加えると現在だけでも実に多くの専用サイトが出来ている。

しかも今も新しいサイトは続々と生まれてきており、近い将来にはこの分野だけでも今増殖中の大型書店並の数に匹敵するぐらいに増えてくるのではないだろうか。

今のところはまだ「紙の本」に愛着を捨てきれない人が多いと思うが、いずれこの電子書籍の大攻勢に影響されて今後この分野の読書シェアは徐々に拡大されてくるのではなかろうか。

いずれにしてもインターネットの影響で、今や本の読み方そのものにも大革命が起ろうとしているのである。

2011年1月13日木曜日

傑作ジョーク集(7)・子供が主役の面白ジョーク3題



(その1)

テレビゲームばかりやっている息子に、お父さんは勉強させようと

偉い人の話をしました。

「ジミー。リンカーンって知ってるだろ?リンカーンがお前の年の頃には、暖炉の明かりで勉強してたんだぞ。それぐらい勉強したんだ」

「ふうん。パパ、ボクも言っていい?

「なんだ?」

「リンカーンはパパの年の頃には、アメリカの大統領だったよ」



(その2)

ある日、台所のシンクで食器洗いをしている母親を女の子が座って見ていた。女の子は、

母親のブルネットの髪にいくつかの白髪の房があるのに気づいた。

女の子は、母親を見て尋ねた。「ママ、どうして髪の毛に白髪が混じってるの?」母親は答えた。

「それはね、あなたが間違ったことをして、ママを泣かせたり、悲しませたりするたびに、髪の毛が

一本ずつ白くなるのよ」 女の子は少しの間考えて、こうきいた。

「ママ、じゃあどうしておばあちゃんは髪の毛がぜんぶ真っ白なの?」



(その3)

テキサスのおじいさんの家に、都会から孫が遊びに来たのですが、孫は田舎で退屈そう。

そこでおじいさんは言った。

「猟銃を貸してやるから森で撃ってきていいぞ。この猟犬を連れて行くといい」

「うん、わかった」そしてしばらくして帰ってきました。

「どうだった。楽しかったか?」

「面白かったよ!他に犬はいないの?」
  
           インターネットサイト
          千日ブログ 〜雑学とニュースのズレた感想〜(ブラックジョーク9選)より

2011年1月12日水曜日

1970,NewYork City「西97丁目」の思い出(9)・私と新しい下宿人「ミス・バーマ」の日常 



ニューヨーク七番街
次の日から私の勤務は再び午後4時出勤のシフトBに戻った。

その前の2週間の早出出勤の期間はいろいろな収穫をもたらしてくれた。

まずスタットラーヒルトンのフロントオフィスの昼間の業務の流れを覚えたこと。

先日知りあった商社の山崎のアパートでのパーティでいろんな人に会いニューヨークでの日本人の知己を増やしたこと。

それになにより嬉れしかったのは二日とあけずミス・バーマと顔を合わせて話したせいか、このところすっかり二人の仲がうちとけてきたことである。

はじめの頃はリビングルームでしか話さない彼女であったが、1週間ぐらいたった頃には自分から私の部屋へ入ってきて長いときは一時間以上もあれこれ喋っていくようになっていた。

バーマはいつも朝9時にアパートを出る。

彼女の通う商業美術の学校はアップタウンのコロンビア大学の近くにあり、同じ地下鉄でも私の職場とは逆方向であった。

3時過ぎに学校での授業を終え、帰りは地下鉄には乗らずいつも歩いて帰ってくる。

百十六丁目からこの下宿までは普通に歩けばゆうに30分以上かかる。

「今はまだ寒いけど健康によくてお金も節約になるのよ」と彼女はその方法を大変気にいっている様子であった。

でも、これから雪が積もって凍結でもしたら歩くのが大変だろうと、私はそんなバーマを私は健気に思った。

最初の2〜3日こそ外で食事をしていた彼女は、来てから2週間もしない内にはもう自炊に切り替えていた。

そこはやはり女性である。

エセルから前の下宿人がビールを冷やすためだけに使っていたというまだどこも悪くない冷蔵庫を借りて、そこに食料を買い込んでエセルが使った後のキチンで食事を作っていた。

彼女の生活は規則正しく、かつシンプルなものであった。

多分自分がまだ奨学金を貰っている学生であるということをはっきりわきまえていたのであろう。

もちろん夜遊びなどすることはなく、その生活態度はすこぶるまじめであった。

下宿にいるときのバーマは私やエセルと話しているとき以外はいつも画用紙に向かってポスターのイラスト作成に取り組んでいた。

彼女はなぜか部屋のドアを半開きにしていることが多く、私が入口のドアの方へ向かうとき、机の前でやや前かがみになった彼女の後姿を目にすることがよくあった。

そんなとき私はそっとそこへ入っていき、いたずら半分で彼女を後ろからぐっと抱きしめたいような衝動にかられていた。


クリスマスも間もない十二月の半ばとなると、いわゆるオフシーズンに入りヒルトンホテルの宿泊客も日を追って減ってきた。

この季節はどこのホテルでもそうだが、ビジネスの客を主体とするこのホテルでは特に落ち込みが激しかった。

その日遅出の勤務についた私は予約客リストを見ながら「今日も暇だな」と思った。

ざっと見てもピーク時の3割ぐらいしかリストは埋まっていなかった。

チーフクラークのフレディが始業前のミーティングで6人のルームクラークを前にして「今日は暇だから通常20分のコーヒーブレイクを倍の40分にする」と言ったので皆歓声を上げて喜んだ。

私を除きこの日の勤務に就いていた5人は皆それぞれ昼間は学校に通っていたり、もうひとつ別の仕事をもっていたりして、このヒルトンの仕事一本ではなかった。

概していつも体の疲れていた彼らにとって休み時間が長いことは大歓迎なのである。

でも別に体も疲れてはおらず、この頃になって仕事に面白みを感じ始めていた私としてはそんなことはどうでもよかった。

そうは思ってもせっかく部下に気を使ってくれているフレディの手前、皆と一緒に嬉しそうな顔をせざるを得ず、仕方なくぎこちない笑顔を浮かべていた。
                                         to be continued

2011年1月11日火曜日

「アホバカ番組」ばかり放映してこの給料・TVメディアの「高額給与体質」を問う


近年はとかく公務員の高給与ばかりが問われているが、民間でも「この不況下に」と、思わず首をひねってしまうほど社員に高額給与を払い続けている業界がある。

それはインターネットの影響をもろに受けこのところ広告料が激減し、今後構造不況業種にも指定されかねないと危惧されているTVを中心とするメディア業界である。

まず下の数字を見て欲しい。

これは2009年時点でのメジャーなメディア各社の平均年収である。

ことわっておくがこれはあくまで平均給与の金額である。

したがってこの金額より多い社員はゴマンといるのである。

メディア名    平均給与(年収)
TBS     1549万9000円
フジテレビ   1534万3000円
日本テレビ   1405万円
テレビ朝日   1322万円
朝日放送    1556万7000円
朝日新聞    1358万円

     インターネット「民放テレビ番組の制作費」より

まるで目を疑うような驚くべき高給与だが、これだと一般的な民間の給与平均の3倍近くあるのではないだろうか。

いまアメリカなどに端を発して先進国を中心に急速に新聞・テレビ離れが進んでいる。

近いところでは有名なアメリカの新聞「シカゴトリビューン紙」でさえ倒産してではないか。

何も新聞業界ばかりではなくインターネット広告とリーマンショックの影響をもろに受け、広告収入が激減してきたテレビ各社でも間もなく赤字に転じるところが多くなると予想されているのである。

テレビ不況の原因はそれだけではない。

高額給与を維持するために番組制作費を大幅に減らし、その結果目玉になるはずの「正月番組」でさえこれはという番組は皆無で、その内容は目を覆うばかりのひどさである。

いずれの民放局も年中繰り広げられている芸能人タレントによるくだらない「バラエティ番組」ばかりで、まさに「アホバカ番組」オンパレードの観を呈しているではないか。

これにはもううんざりで、視聴者が逃げてしまうのは当然である。

高度急成長期を中心にうなぎのぼりの広告費収入を獲得してきたこの業界は一般に比べて少し感覚がずれており、好調ゆえの少なからずの慢心もあったのではないだろうか。

広告費といえば元はと言えば日常の消費を通して消費者である一般大衆が負担しているのである。

それら多くの大衆は不況下の低賃金にあえいでいるというのに、こうした高額給与体質を少しも改めようとしないのはいったいどういう神経なんだろう。

おそらく今のこの業界の不況は一過性のものではなく、新聞・テレビ離れはますます加速されていき、業績はさらに悪化していくものと予想される。

経営当事者この現実をよく認識して、まず高額給与体質を改めて、その分少しでも良質番組の制作費にまわすべきではないだろうか。

それでないと一部のスポーツ番組を除いて、いずれ「民放テレビ」など誰も見向きもしなくなるのではないだろうか。

2011年1月10日月曜日

「鳥害」もう放ってはおけない・次第にずうずうしくなっていく歩道の「鳩の群れ」と街路樹を占拠する「ムクドリ」の大群

ムクドリの大群

いま人間社会が大きな害を被っているものの一つに「鳥害」というものがある。

その害を与えている代表的な鳥類といえば「鳩」「ムクドリ」「カラス」の三種ではないだろうか。

でも「カラス」に限って言えば何も今始まったことではなく、もう何十年も前から人間との対決は続いており、その被害の歴史は他の鳥に比べて抜群に長く同等には扱えないのではなかろうか。

それに比べて「鳩」と「ムクドリ」からの被害の期間はそれほど長くはないのだが、被害が一定でさほど変動のないカラスに比べて、年月を経るにしたがって次第に大きくなっているのではないだろうか。

例えば「鳩」について言えば、人通りの多い歩道に時を選ばず大挙して舞い降りてきては、人や自転車が近づいてきてもぎりぎりになるまで道を譲ろうとせず、通行人の方が足で踏んづけそうになりあわてて進路を変えたりするのである。

また自転車に乗っているときは無警戒な鳩の群れを轢いてしまいそうになってあわてて急ブレーキをかけたり、一向に逃げる気配がないのでこちらが大きくハンドルを切って群れを避け、急な方向転換で危うく対抗の自転車にぶつかりそうになることさえあるのである。

それになんと言っても許し難いのは、建物の天井や軒先にとまって下を歩く歩行者に糞を落とすことだ。

私は昨年だけでも肩と袖口にあわせて2度もこの「糞害」にあっているのである。

そのときの腹立たしさと言ったら並大抵ではない。

はっきり言って最近の鳩は人間から害を受けないのをいいことに非常に大胆でずうずうしくなってきている。

言い換えれば人間をなめてかかっていると言ってもいい。

かつて鳩は平和のシンボルとか言われたが、今ではそれどころか、なんとも厄介な存在にさえなっているのである。

次に挙げなければならないのは「ムクドリ」による被害ではなかろうか。

夕刻の目抜き通りの街路樹に群がるこの鳥のすさまじいほどの群れはとても尋常とは言えない。

大空を覆うばかりに大きな群れをなし、疾風のごとく飛んでいるさまはまるで空全体の景色を変えてしまうぐらい凄まじさである。

いったいこんな「大きな鳥の群れ」がどこから涌いてきたのかと思わせるぐらい、あらゆる方向から飛来してきた鳥たちはまたたく間に巨大な群れを形成しやがて辺りの空を覆うばかりの大軍団になっていくのである。

それらの大群はその後地上に下りてきたと思うとまたたく間にあたり一帯の街路樹を占拠してしまうのである。

その木々から響く泣き声の凄まじさといったらもう騒音公害などを通り越し、まるで耳を劈くような大音響でその様は狂気さえ感じるほどである。

そして上から落ちてくる糞を避けるため、人々は街路樹からうんと離れて歩かねばならず、必然的に歩行可能なスペースも随分狭いものになってしまうのである。

これを「鳥害」と言わずしてなんと言えばいいのであろうか。

最後はカラスであるが、もうこの鳥に限っては随分おなじみになってしまっており、鳥類にしてはすばらしい頭脳プレイヤーで時としては人間としても対抗するのにたじたじとさせられるのである。

一説によるとカラスはチンパンジーにも匹敵するほどの高いIQの持ち主であるらしい。

でも彼らはいつもずる賢さを前面に出してはいるが、何と言うかどことなく愛嬌があり憎めないところがある。

したがってかっては敵対関係にありながら、気がついてみるといつの間にか共存共栄的な連帯感がうまれているようにもかんじるのである。

したがってカラスは今や鳥害の対象にはならないように思うのである。

では残るのは「鳩」と「ムクドリ」の2種であるが、まずさし当たっては歩道を占拠して日毎にずうずうしくなる「鳩」を早急になんとかしなければならないのではないだろうか。

2011年1月8日土曜日

「美食」VS「粗食」・はたして体にはどちらがいいのだろうか?



世の中が豊かになるに連れて「美食家」という言葉はよく耳にするようになったが、それに対して「粗食家」という言葉を聞くのは次第に少なくなってきたような気がする。

そもそも今回のタイトルでブログを書こうと思ったのは故人であるあの「鬼平犯科帳」で有名な池波正太郎氏の「作家の四季」というエッセイを読んだからである。

ご存知の方も多いと思うが、氏はフランス料理に始まり和洋全般あらゆる料理に精通するの名だたる「美食家」で、作家の中でも氏の右に出る人はおそらく一人もいないのではないだろうか。

その名だたる美食家の池波氏は意外に早い67歳という年令でこの世を去ったのである。

亡くなった当時(1990年)の男性平均寿命76歳からすればどちらかと言えば早死にの方に属するであろう。

テレビの「鬼平犯科帳」の熱烈なファンである私としては残念で仕方がない。

ここで気になるのは生前は名だたる「美食家」と言われた氏と、比較的早死した事との因果関係である。

これに関してインターネットに興味を引く記事が載っていた。

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この記事は「アンチエイジング対策」や「寿命延長」にカロリー制限がどれほど有効かという動物実験の結果を載せたのもである。

ネズミを使った実験だがチームを三つに分けて、まず「Aチーム」には自由に餌を食べさせた。

次に「Bチーム」には平均75%を与え、「Cチーム」には平均40%の餌を与えた。

その結果それぞれの平均寿命はAチーム23ヶ月、Bチーム33ヶ月、Cチーム45ヶ月だったそうだ。

この例によると栄養失調にならない範囲でカロリー制限をした方が長生きできるということがはっきり証明されており、その意味で「美食」よりカロリーの少ない「粗食」の方が長寿に役立つと言えるのである。
                                     インターネットサイト「美食から粗食へ」参照

一般的に世の「お金に不自由のない方々」はえてしてグルメ志向に走る人が多いと思われるが、そろそろ考え直して美食の回数を極力減らして、なるべく粗食の回数を増やしてみたらどうであろうか。

私などは物理的な理由で粗食しか出来ないのでそんな心配は無用なのだが・・・。

最後に同じくサイトに載っていた「粗食の理念」に沿った長生きする為の「食生活の心得」を引用しておきたい。

理想的な食生活の基本
1. 1日の摂取カロリーを(30×標準体重)kcal以下にする
2. 1日の摂取タンパク量は約70〜100g。多すぎても少なすぎてもダメ!
3. タンパク源を様々な食品からバランスよく摂る
4. 脂質の摂取量を総カロリーの25%以内にする
5. 青魚でEPA、DHAを摂る
6. 牛乳や乳酸菌(ヨーグルト)は毎日きちんと摂る
7. 食物繊維(野菜など)は一日25g以上必要
8. 甘いものは控えめに
               インターネットサイト「美食から粗食へ」より

2011年1月6日木曜日

やっと「No.31」155冊まで進んだ・私の読書記録




読書日記や読書記録とかは過去に何度も始めたことがあるがそのことごとくが中途挫折して長く続かなかった。

しかし2年前に始めた今回のものは昨年12月でA4用紙を使った記録が「No.31」に達し、掲載書籍数も150冊を越えた。

今回のものがこれほど長く続いた理由は何と言っても感想文の欄を小さくして、短い文章で済ませるようにしたことにあったのではなかろうか。

過去の挫折の原因の一つは感想文の欄が大きく、必然的に長い文章が求められ、それが長く続ける為の難点になったのではないかと気づき改善したのである。

今の欄ではせいぜい100~200字程度の文字数ですますことができ、長文を書く苦痛を感じないですむのである。

それに加えて今回記録したほとんどの本は図書館から借りたものであり、返却日が指定されているので計画的に読み終えることができ、記録を書くのに一定のリズムが出てきて、それゆえに読書行動が習慣化されたことも継続の大きな理由である。

ものごをを継続するためにはまず習慣化することが大切なのだが、それについては今回は成功したと言うことができる。

A4用紙31枚150冊分の感想文をざっと見渡してみると、読んだ本はエッセイ・評論・ハウツーものが多く、小説をはじめ文芸書が意外に少なかったように思う。

またパソコンやIT関係の専門的なものもかなりあり、それはパソコンの技術・知識習得によく役立ったのではと確信する。

今年に入っても継続的な読書と記録の励行は 変わらず続いており、この調子だと記録のページ数もぐんぐん伸びていくことであろう。

少なくとも当分この調子で持続していき、枚数的にはあと70枚、書籍の数はあと350冊を読破して、最終的にはこの読書記録を1冊の本にまとめたいと思っている。

それには後何年かかるだろうか、これまでのペースだと後5年、いやそれでは遅すぎる。

努力してもう少しペースを上げ、少なくても3年後ぐらいまでには「私の読書記録」というタイトルの本を完成させたいと思っている。

2011年1月5日水曜日

激減したハーバード大学日本人留学生

ハーバード大学


世界の大学ランキング

いま名実ともに世界で最も名を馳せている大学と言えばなんと言ってもまずアメリカのハーバード大学の名前を挙げるのが順当ではないだろうか。

これが一昔前だと英国のケンブリッジやオックスフォードに遅れをとっていたかもしれないが、今はその地位は完全に逆転しており世界中から集まる秀才留学生数トップの座に堂々と君臨しているのである。

日本のメディアでもこの大学の様子はよく取り上げられており、ごく最近でもNHKで「ハーバード白熱教室」という同大学で最も人気のある「サンデル教授」の授業がシリーズで放映されている。

また最近の出版物でも同じタイトルの本が出版されており、その他「にも大和書房」からも「ハーバード大学の人生を変える授業」というタイトルの本で人気教授「タル・ベン・ジャハー」氏による人気を博した授業の講義内容が紹介されている。

このように最近になってこの大学の授業はわが国で大きく注目を浴びてきているのである。

しかしである。

こうした日本社会での大きな注目に反するように、近年この大学に留学する日本人学生の数が激減しているのである。

まず下の数字を見て欲しい。

2009年度の海外からの留学生(アジア地域)
 
 韓国       42人
 中国       36人
 シンガポール  22人
 インド       20人
 日本        5人

日本人としてこれはまるで目を疑いたくなるような数字ではないか。

いずれも二桁のアジアの他の国に対して日本だけが一桁で、しかも5人でしかいないのである。

もちろん各国の大学をめぐる国内事情は大きく違う。

これらアジアの他の国に比べて日本には東大・京大というような世界に名を馳せた立派な大学もある。

しかし心配なのは、このところ過去に比べて極端に減少しているという点である。

さらにこの傾向はハーバード大学の留学生だけに留まらず、米国全体の留学生数もこのところ大きく後退してきているのである。

実際の数字を挙げてみるとインドと中国が各々「10万人余」、韓国が「7万人」。

それに対して日本人はわずか「3万人余」とこれら3国に大きく水を開けられているのである。

これでは「世界の先進七カ国」のメンバーとしてはいかにも情けないではないか。

この日本人留学生の激減については、日本人だけでなく大学の当事者であるアメリカ人教授さえも原因究明に頭をひねっている。

例えばハーバード大学社会学部長で大の日本通の最近講談社現代新書から「リスクに背をむける日本人」という本を日本の大学教授と共著で出版したメアリー・ブリントン教授(女性)はその著書の中でこう述べている。

「アメリカの大学に在籍する日本人留学生の激減は非常に気になる。一部ではその原因を日本人が内向き志向に変わったせいにしてているが、何と言っても世界でもっとも高等教育の優れたアメリカに留学生を送らないのは日本にとって将来的にも大きな損失である」

この教授は大の日本通であるがゆえに今の現状を心配しているのである。

どうか教育界に携わる関係者はこうした現状を正しく認識するとともに、速やかに原因を究明して早急に失地回復に努めて欲しいものである。

2011年1月4日火曜日

姉が教えてくれた「白菜」の簡単で美味しい調理?法

いつものことだが、家庭菜園をやっている加古川の姉がいろいろな採りたての野菜を持ってきてくれた。

その中には大きな白菜も一株入っていた。

帰るとき姉が言った。

「白菜は中の方の白い葉っぱをちぎってお皿に入れレンジで熱してポン酢をかけて食べるとおいしいよ」と。

そんな調理法もあるのかと、半信半疑ではあったが酒の肴にと、言われた通りにその夜さっそくやってみた。

中の方の白い葉っぱを無造作にちぎって大きめのお皿に入れレンジで約2分少し熱して取り出した。

高熱で熱したせいか白菜はさすがに元の形よりかなりしぼんではいたが、色合いは熱い熱を加えた後とは思えないほど新鮮な色調を残しており、どう見ても高熱を加えた後とは思えなかった。

そして肝心なのはその味であるのだが、これについてはもう100%素材の天然性をじゅうぶんに残していて、これまでに味わったことのない香り豊かなフレッシュ味そのものであったのだ。

これこそ野菜の新鮮な味を残す最良の調理法ではないかと、意外とも思えるその美味を味わった後の少し昂揚した気分もあいまってはいたが、そう確信して疑わなかった。

そしてさしずめ英語の「I'm crazy about 〜」とでもいうように、今後折を見てはあらゆる野菜についてこの調理法を試みるようになっていくのではないであろうか。

2011年1月2日日曜日

日本の喫煙率「世界ワースト4」・世界禁煙事情


喫煙率国際比較
社会実情データ図録より


右のグラフは比較的新しい2007年度調査による世界の喫煙率を示したものである。

これを見てまことに嘆かわしく思うは依然として高い日本の喫煙率である。

昨年10月の値上げで少しは下がっているとしても、その率は微々たるものでグラフの順位を上げる要因にはならないだろう。

これを見るかぎりでは日本の喫煙率は世界の「ワースト4」に入るという最悪の状態ではないか。

何ごとにも国際比較に敏感で優位に立ちたがる日本人であるはずなのに「喫煙率」においてこうした低位に甘んじているのはいったいどうしたことなのだろう。

はっきり言って喫煙率が高いということは、文明の進化に逆行することではないのだろうか。

それを示すとおり文明が進んだ欧米諸国は、一律に低い水準にあるではないか。

先進七カ国のメンバーで欧米諸国に列して普段から文明国を標榜する日本であるのにどうして喫煙率が下がらないのだろうか。

タバコの値段を欧米先進国より低価格に据置いている政府が悪いのであろうか。

タバコ価格国際比較

国名    銘柄        価格
イギリス  ベンソン&ヘッジス  1186円
アメリカ  マールボロ       830円
フランス  ゴロワーズ       773円
ドイツ   ハーベー (HB)    644円

それとも「体に悪い」と思っているのに禁煙できない国民の意志が弱いせいなのであろうか。
今タバコによる国の税収は2兆円を越えるという。

タバコ税国際比較
・ 日本:300円(63%)
・ 米コロンビア市:449円(30%)
・ 米ニューヨーク市:983円(60%)
・ 英国:813円(76%)
・ ドイツ:511円(76%)
・ フランス:613円(81%)

巨額の財政赤字を抱えたいま、これだけの税収を失うことは大きな痛手だということは分かる。

でも別の考え方をすれば、喫煙率が下がれば健康になる人が増えて病院にかからなくなり、その分
医療費が減り、タバコ税の減収ぐらいは吸収できるのでないだろうか。

いずれもしても喫煙率が高いということは文明国家として誠に恥ずべきことである。

それに禁煙の進んだ諸外国から「意志をコントロールできない幼稚な国民」であると見なされかねない。

国は意を決して欧米並みの価格に引き上げて、なんとしても喫煙率「ワースト4」などという「汚名」は早急に返上しなければならないのではないだろうか。

最後に以前のブログでも挙げたことのあるアメリカ大手「タバコメーカー幹部」の言葉を載せておく。

「タバコだって、あんなものは吸わない。我々はただ売るだけだ。若者や貧しい人、ブラック、そして馬鹿な奴らに買わせるのだ」
         
            (ディビット・ゴーリッツが面談した、レイノルズ社幹部の談話より)

                                米国タバコ戦略「アクリコ日記」より

名前がおもしろい「脳細胞死滅度チェッカー」・ネットにあるいろんな「チェッカー」(計測)サイト

脳内メーカー

一時「脳内メーカー」というサイトが流行ったことがあった。

もちろん今でもそれはあるが、でも人気の方はすでに失せているようで今では人の口に上ることもあまりない。

このサイトは名前を入力すれば、即座にその人の脳内を占めている事柄が脳全体に対しての占有範囲を示して出てくるのである。

例えばお金にこだわっている人は脳内でお金の占める占有率が高くなり脳全体の容量に対してお金のことが多くのキャパシティを占めることになる。

もちろん一種のお遊び的な「脳内測定機」のようなものであって、これに示された数値がが事実を表すのではない。

それに変わって出てきたものの一つが、質問に答えてその結果から脳の若さを測定する「名前」が非常におもしろい「脳細胞死滅度チェッカー」というサイトである。

21の質問の答えをチェックしてく文字通りにチェッカーで、回答後に結果が発表される。

でもこれも事実が表示されるのでなく、お遊びの一種のギャグであり、ジョークとしての答えが出るだけである。

今サイトを検索するとこの種のチェッカーサイトは実にたくさんある。

その一例をあげてみると

人の引き際を食品の賞味期限にたとえた「賞味期限チェッカー(人間用)」。

人のぼんこつどを計る「ポンコツ度チェッカー」。

全国の学校裏サイトを簡単に件せく・閲覧できる「学校裏サイトチェッカー」。

パスワードの安全性と強度を調べる「パスワードチェッカー」。

人の本音を調べる「本音チェッカー」。

一時ほどではないがいまだに高水準の自己破産について、将来のは三度を予測する「破産チェッカー」。

各自のタイピング力を教えてくれる「簡易タイピングチェッカー」。

そして消費者金融などへの謝金の嘉払いの有無とその額を教えてくれる「過払い度チェッカー」。

等など、ごく一部だけでもこのように実に多種多様なチェッカーがあるのだ。

こうしたネットにあって簡単に利用できるチェッカーは一時大ブームを見せた占いサイト同様にまたすぐ影をひそめていく一種の流行かも知れないが、お金もかからずいつでも手軽に出来る各種の計測装置であり、少し刺激を与えてくれるお遊びでもあり、一時に暇つぶしにはなるではないだろうか。

2011年1月1日土曜日

My Newyear’s Concert・私のお正月コンサート


日時     1月1日10:00AM

場所     自宅居間

音響ツール  パソコン ・ スピーカー

その他ツール CD3枚
                     インターネットサイト

Foods    数の子・昆布煮しめ・ごまめ・かまぼこ

Drinks    日本酒・ビール

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プログラム
 
・クラシック名曲鑑賞

(1) モーツアルトピアノ協奏曲23番

(2) ビバルディ四季より(冬)

(3) メンデルスゾーン交響曲(イタリア)

・好きな歌独唱

(1) 霧島昇・松原操の「旅の夜風」

(2) 五木ひろしの「横浜たそがれ」
    
       伴奏 インターネットサイト
              「懐かしのメロディ」
                     
                                             以上

亡き母へのメッセージ(2)・「雪野」という名前のお母さんがくれた思いがけない「雪景色」

お母さん、今日は今年最後の日12月31日大晦日です。

テレビなどでは各地で降った雪情報が次々に伝えられている寒い年末です。

貴女が亡くなってからはや五日目になります。

お葬式は12月29日に岡山市内の「典礼会館」で無事終了しました。

お母さんが生前から希望していたように、ほとんど「家族葬」に近い形の親族が中心にした落ち着いた雰囲気の葬儀でした。

親族は10月に行われた白寿の会に出席したメンバーが2〜3名を除いてほぼ全員が参加しました。

多くの孫たちも含めて、身内とは言えこれだけの人が集まってくれたのもひとえにお母さんの人徳の故だと思います。

喪主は柄にもなくこの僕が勤めたのですが、初めての経験でしたがお母さんが遠くから見守っていてくれていたのでしょうか、これという失敗もなく無事役目を果たすことが出来ました。

式が終わったその日はきょうだい皆が「優子さん」の家に一泊して翌日30日の朝方姫路へ戻ってきました。

その岡山から姫路への帰途においてのことですが、そのとき経験したとても不思議な出来事ことについて是非ともお母さんに報告しておきたいことがあります。

それは電車の車窓から見た景色についてのことです。

僕が乗ったのは午前9時9分発の相生行きの普通電車でした。

岡山を出たとき外は冷たい冬の雨が降っていました。

その雨は高島駅を過ぎた頃には白い雪に変わっていました。

僕としては今年始めてみる雪でした。

でも岡山で雨を見ていたせいか、「この雪もにわか雪ですぐ止むことだろう」と思っていました。

ところが東へ進むにつれてその降りかたは次第に激しくなり、大きなボタン雪も交じった白い塊がどんどんと空から落ちてきて、電車が「和気駅」に着いた頃にはホームにはすでに3〜4センチも積もっているではないですか。

そして駅のホームの向こう側に広がる家々の屋根や田畑など辺り一帯の景色は白一色に変わっていました。

空は深い鉛色に曇っていて、辺りを白一色に変えてなお絶え間なく降り続いており、刻一刻と積もっていく雪景色は、車窓から眺めているとなんとも幻想的な趣を持っていて、まるで何か不思議な夢でも見ているようなファンタジックな思いを僕に与えてくれました。

そしてそのあと僕はふと思いました

「アッそうだ、お母さんの名前は『雪野』だったのだ。ひょとしてこの雪は天国へ行ったあの人が降らしたものではないだろうか」と。

まさに「雪の野原」を連想させる「雪野」という名前を今一度僕に訴える為のお母さんの企みではないのだろうか。

そうでなければこの地域で滅多に目にすることのないようなこうした白一色の景色など今ここで臨むことなどできなかったのではないのではないのだろうか。

きっとそうだ。お母さんが自分の名前の「雪野」にちなんだ見事な雪景色を僕に与えてくれたのだ。

そんな不思議な思いにふけりながら、厭きることなくその後も降り続ける雪をずっと眺めていました。

雪は終着駅のひとつ前の「有年駅」ぐらいまで止むことなく降り続いていました。

でも相生駅に着くとそれはピタッと止まって、外の景色も少しも白くはありませんでした。

でもそれまで30分間ぐらいだったでしょうか、この地域で滅多に目にすることがない見事な白一色の雪景色を僕は堪能したのでした。

いまはもう天国へ行ってしまった「雪野」という名のお母さん。

思いがけないすばらしい雪景色を与えてくれてありがとう。

僕は今後冬がくる度にこの日のとても幻想的だった雪景色を想い出すことでしょう。

お母さんどうぞ安らかにお眠りください。

僕はこれからずっと天国に行った貴女を見守っていきますからどうかご安心ください。

また近いうちにお手紙します。
                                                                      庸夫より