2011年6月24日金曜日

1970,NewYork City「西97丁目」の思い出(14)・ヨンカーズ競馬場(その2)


ヨンカーズ競馬場行きのバス

トロッティングレースの騎手と馬

バスがハーレムリバーを少し過ぎたとき「大平さん、あれがシェイスタジアムですよ」と、山崎が窓の外のほうを指さした。

「ニューヨークには有名なヤンキースタジアムとこのシェイスタジアムの二つの球場があるのです。ヤンキースタジアムへは一度行ったことがあるんですが、このシェイにはまだ一度も来ていません。大平さん、野球はお好きですか?今度いいカードがある時ご一緒しませんか?」

「ええ、まあ好きなほうです。そのときは是非誘ってください」

そんな会話をかわしながら私と山崎は夕闇の迫った茜色の空の下の広々としたシェイ球場の外観をじっと眺めていた。

バスはだんだんとマンハッタンを離れていき、低い家並みのニューヨーク郊外へと入っていった。
道路の両側の鬱蒼とした並木の奥には広々とした邸宅が延々と連なっている。

その広くて堂々とした構えの家々は、そのほとんどが敷地内にプールを備えているらしく、周囲を芝生に囲まれた中で、その水面に映った夕日がキラキラと輝いていた。

家とはこういうものなのか。私は日本の貧弱な住宅事情を思い出しながら、思わず「うーん」というため息を洩らしていた。

バスがヨンカーズ競馬場へ着いたとき、すでに早春の太陽はすっかり沈んでおり、夕闇の中にこうこうと競馬場の証明が浮かび上がっていた。

「さあ、大平さん着きましたよ」 山崎は座席で「うーん」と言いながら背伸びして、その後ゆっくり立ち上がった。

「案外遠かったですね。バスに乗ってからもう1時間半ほど経っていますよ」そう言いながら私も立ち上がって下車の準備をした。時計は7時少し前をさしていた。

「大平さん、やはりここまで来ると血が騒ぎますねえ。いつものことながらレース場へ入る前のこの興奮はたまりませんよ」

「おやおや、山崎さんって相当な勝負師なんですね」 私は笑いながらこたえた。

バスを下車した地点から5分ぐらい歩いて、二人は正面入場口へたどり着いた。

十数人の行列に続いて中へ入り、急傾斜の階段を上がり、中段より少し上の観覧席に空席を見つけると、二人はとりあえずそこは腰を下ろした。

「思ったより空いていますね、山崎さん」 席へつくや否や、ぐるっと辺りを見渡したあと私が言った。

「日本と違ってこちらはウィークデイの開催ですから、まあこんなもんでしょう。これが金曜日あたりになるともっと混むらしいですけどね」

観覧席も下のほうはさすがに満席に近かったが、上へいくほど空席が目立ち、二人が陣取った中段あたりでもまだ三割ぐらいは空席があった。

日本の競馬場の、あのむせかえるような人ごみはここには無かった。

「ああ、次は第三レースですね」 正面に見える電光掲示板に目をやりながら山崎が言った。

「この前は今日より一時間ばかり早く来ましてね。それで第一レースと第二レースの一着馬を当てるデイリーダブルという馬券をみごと的中させたのですよ。第一レースで一着になったインディアンアローという馬は三番人気でそこそこの力はあったのですが、

第二レースの一着馬がまったくの穴馬でしてね。キングサミーという名前だったと思いますが、僕はこの馬にたまたま人気ジョッキーのフィリオンが乗っていたので買ったまでなのですよ。

そうしたところ、四コーナーをまわる所まではまだ四、五番手で、やっぱり駄目かなと思っていたのですが、ゴール前に来るや否や一気に先を走る四、五頭をごぼう抜きにして、終わってみれば十二頭中十番人気のその馬がなんと一着になっていたんですよ。

僕はそのとき日本語で「やった」と大声で叫び、思わず飛び上がりましたよ。でもまさか配当金が3400ドルもつくとは思ってもみなかったですよ。

キングサミーという馬もさることながら、そのときの僕には騎手フィリオンがまるで神様のように思えましたよ」
山崎はそのときの興奮を思い出したかのように嬉々として話していた。

「それでその騎手のフィリオンという人、今日も出るんですか?」「もちろん出ますよ。ほらここを見てください。第四レースと第五レース、それに第七レースと第八レース」。手にした新聞の出馬表を示しながら山崎は得意気にこたえた。

「ああそうだ。大平さんは初めてのことだし、馬より騎手を重視して買ってみてはいかがですか?ほら、ここにジョッキーの今期の成績ランキングが載っているでしょう。一位がフィリオンで二位がウィルソンそして三位がカールで・・・・」

「そうですね。山崎さんも先週それで当てたんですから、私も今日はそれでやってみましょう」

私は深く考えることなく、山崎の提案したその方法を採ることにした。

第三レースは山崎だけがウィンと呼ばれる一着馬だけを当てる単勝馬券に20ドル賭けた。
結果はゴール前でもう一歩及ばず頭差の二着。

馬群が四コーナーを回ったところで山崎は立ち上がって両手を振りかざしながら大声で馬の名前を呼んで声援をおくっていたが、もう一歩のところで及ばず、惜しくも二着になったことを知ると、「あーあ!」と大きなため息をつきながら、どかっといすに腰を下ろした。

「残念!もう少しだったんだけどなあ。今日はこの前のように最初からうまくいきませんよ。よし!次のレースこそ」 山崎はそう言うとまた予想紙とにらめっこを始めた。

普段はいたって冷静な山崎だが、こういう場面では随分ホットになるものだと、彼のもうひとつ違った一面を見た思いがした。

私だと、たとえ馬券を買っていたにせよ、彼のように大声をあげて感情むき出しの声援をおくることなど決してできないだろうと思ったりした。

第五レースが終わったところで、二人は軽食でも取ろうと席を立ち通路の奥にあるホットドッグスタンドの前にやってきた。

第五レースで私の買った2−6の複式馬券がみごと的中した。フィリオンの騎乗した馬が二着に入り、三番人気の馬とからめたこの馬券には12ドル50セントの配当がついた。

その馬券を3枚買っていたので配当金はしめて37ドル50セント。それから第四レースと第五レースで負けた20ドルを差し引くと17ドル50セントのプラスであった。

逆に山崎はこの日まだ一レースしか当たっておらず、30ドルあまりのマイナスであった。

「大平さん。初めてにしては上出来ですよ。僕の初めてのときなんか最初の4〜5レースは一度も当たらなかったのですからね」

「これも山崎さんのアドバイスのおかげですよ。ホットドッグとコーヒー、ささやかですが僕がおごります」

二人はホットドッグをほうばって、熱いコーヒーをすすりながら次のレースについて話していた。

あたりはどっぷりと日が暮れており、明々とした競馬場の外には延々とヨンカーズの暗闇が広がっていた。

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