2013年9月1日日曜日

再び批判の矢面に立たされている ・ 国連事務総長 潘基文氏 


潘基文氏 ・ いったいこの人はいつまで国連事務総長を続けるだろうか?

国連事務総長潘基文氏がいま様々な場面で批判の矢面に立たされている。


まず氏は最近、特別な任務があるわけでもないのに母国韓国を訪問し1週間余も滞在している。


米国の新聞などは、いま彼が行くべき場所は韓国ではなくてシリアだろうと、その軽率な行動を厳しく批判している。


また氏は今回の訪韓にあわせて、中立であるべき国連事務総長である自らの立場もわきまえず、韓国政府に同調して「日本政府の歴史認識は間違っている」とわが国を激しく非難する声明を出している。


一方、国連内では必要もないのに多くの韓国人をスタッフとして採用して自らの側近に置いていることが判明し、米ワシントンポスト紙などで強く非難されている。


でもこの人が批判の矢面に立たされたのは決して今になってからではない。もう随分前から欧米の新聞などではその無能ぶりが取上げられ批判され続けている。


それをよく示すのが今回ニューズウィーク誌に載った次の記事である。


この記事は2009年に書かれたものだが、4年もたった今になって再びニューズウィーク誌に取り上げられて堂々ウィークリーランキング3位という人気記事になっている


これは人々が国連事務総長という要職にある潘基文氏の動向を、いつもきっちりウオッチしていることをよく証明しているのではなiいだろうか。

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世界で最も危険な韓国人、潘基文 Nowhere Man
2009年6月23日(火)
ジェーコブ・ハイルブラン(ナショナル・インタレスト誌シニアエディター)


歴史的にレベルの低い国連事務総長のなかでも際立って無能。核拡散の脅威や難民危機にも関心を示さない潘のおかげで、国連はあってもなくても関係ない存在に堕ちた。
 
見た目にはきわめて重要なポストでありながら、歴代の国連事務総長はどちらかと言うと大した実績を上げてこなかった。

 アメリカの国連大使だったダニエル・パトリック・モイニハンは、自身の回顧録「危険な場所」のなかで、70年代に事務総長を務めたオーストリア人のクルト・ワルトハイムをこう評している。

彼は「郵便局」のようだった。「やや古臭いが、オーストリア・ハンガリー風にそこそこ効率的な経営がされていた。誰かと向き合うと、世間話をしながら心のなかでは郵便の仕分けをしているような男だ」 

 ブトロス・ブトロス・ガリ元事務総長はどうか。90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でセルビア人勢力が破壊の限りを尽くしているとき、彼は傲慢さと無責任さを発揮。クリントン米政権は、ガリの再選に拒否権を発動した。

コフィ・アナン前事務総長は、息子のコジョがイラクでの国連石油・食料交換計画で不正報酬を得ていたことが発覚して評価を下げた。

 だがこれだけ情けない前任者たちと比べても、今の潘基文(バン・キムン)事務総長の無能ぶりは際立っている。韓国外交通商部長官(外相)から現職に転じた後の2年半の間に、何かとんでもない失敗を犯したというわけではない。

 だがグローバルな指導力が切実に必要とされ、地球温暖化や国際テロ、60年ぶりの金融危機への対応が求められているときに、潘は世界中で名誉学位を収集して歩き、見事なまでに何も記憶に残らない声明を発表し、事務総長として影響力を発揮できたかもしれない貴重な機会を無駄にすることに費やしている。

 彼は、行き当たりばったりに世界のあちこちを旅するいわば「偶然の旅行者」になった。遊び半分の事務総長だ。

国連は今や存在しないも同然に
 核拡散防止やアフガニスタン復興に貢献するため、大胆な演説で国際世論の支持を呼びかけるわけでもない。人権の擁護者として活躍するどころか、難民を助けようともしない。

 例によって名誉学位を受けるため4月にマルタを訪問したときは、マルタがアフリカからの不法移民を船でイタリアに送り出している問題について聞かれたが、答えは逃げ腰だった。「介入する立場にない」

 スリランカ内戦で多くのタミル人が「人間の盾」として反政府組織に海岸沿いに連行されても、潘とその顧問たちはニューヨークの国連本部で手をこまねくだけで、やっと現地に赴いたのは内戦が終わってからだ。

 彼の指揮の下、国連は単に役立たない組織になっただけでなく、あってもなくてもほとんど関係ない存在になった。

 潘の欠陥は、彼が韓国の外交官として働いた数十年を振り返っても明らかだ。当時のあだ名「官僚中の官僚」が、その欠陥をよく物語っている。

 潘にとって幸運なことに、そして世界にとっては不運なことに、徹底して反米的なアナン前事務総長に手こずった後、アメリカのブッシュ前政権は官僚タイプを求めていた。アジアから国連事務総長を選ぶ順番が回ってくると、ブッシュ政権のコンドリーザ・ライス前国務長官は、潘を当選させることを自らの使命と心得た。

 だが外部の専門家には、潘は不評だった。ジャーナリストのジェームズ・トラウブは、著書「善意」のなかで、事務総長選の最中の潘がニューヨークのシンクタンク、外交評議会で行った演説を回想している。「退屈な演説と意味のわからない下手な英語のせいで、ついうたた寝をしてしまった」

オフィスに並ぶサムスン製テレビ

 眠気をもよおす潘効果は、事務総長としても発揮された。ある国連ウォッチャーは私に、潘は有名な哲学問答にある「誰も見ていないところで倒れた木」のようだと語った。

誰も聞く者がいないなら、木は倒れる音を発しなかったのと同じだが、潘の場合も同様に、何も言っていないのに等しいというわけだ。

 オフィスの壁にサムスン電子の薄型テレビを並べ、上級顧問に韓国人の仲間たちを選ぶなど、韓国経済の利益を図ったという点を除けば、彼の足跡はほとんど無視できるほどでしかない。

 潘でさえ、自分にどれほど存在感がないか気づいているようだ。08年8月、イタリアのトリノで国連幹部を相手に潘は、国連内に蔓延する官僚的な無気力症を克服することの難しさを嘆き、最後は格言を引用して敗北を認めた。「私は自ら範を示して指揮しようとしたが、誰もついてこなかった」

 国連事務総長はうまくいけば、世界の良心を刺激して変化のための真の触媒になれるはずだ。たとえば50年代に事務総長を務めたダグ・ハマーショルドは、ニュース価値が高くしかもしばしば危険な使命を担うことで、国連の役割を拡大しようとした。

 ハマーショルドは毛沢東政権下の中国指導者たちと会い、朝鮮戦争の間に捕虜になった15人のアメリカ人を解放させ、非植民地化の過程のコンゴが内戦に陥るのを防ぐため数度にわたって現地を訪れた。

 80年代に事務総長を務めたハビエル・ペレス・デクヤエルは、フォークランド紛争でアルゼンチンとイギリスの調停役を務めたことや南アフリカが実効支配していたナミビアの独立を支援したことで称賛を浴びた。

 今までのところ、潘にそうした実績はない。まるで、彼が名を上げるのに足るだけの危機が今の世界には存在しないかのようだ。

スリランカ、スーダン、中東と出番はいくらでもあるのだが、こうした国や地域に影響を及ぼそうとする気配もない。そんな気があるかどうかさえ怪しいものだ。


ニューズウィーク日本語版 2013年8月31日

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