2014年6月29日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第15回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その5)

マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その5)


 帰りの地下鉄の車内でも、しきりと山崎からのバーティの誘いについて考えていた。バーマとはこれからいつでも話せるのだし、明晩はやはり行ってみることにするか、とここにきてようやく結論を出した。

 夜遅く電話でその旨を山崎に伝えると、彼は非常に喜び「このパーティも今度で四回目なのですけど、出席する人がいつも常連はかりなので大野さんのようなフレッシュな方に出席していただけるとパーティはきっと盛り上がるでしょう」と、相変わらず如才のない返事をしていた。

 その日は朝からバーマの姿を見ていなかった。 「寝る前にちょっと顔を合わせて話がしたいな」と思い、彼女の部屋のほう向かって歩きかけた。

 丁度そのときエセルの部屋から「ゴホン、ゴホン」と例の咳の音がした。
 それを聞くと、なぜか気後れを感じ足が止まってしまった。
 そんなわけで結局その夜はバーマに会わずじまいであった。


 翌日の夕方、修一は仕事を終えて山崎が指定したエールトンホテルのロビーで待っていた。五時をすこし回った頃山崎が小走りでやってきた。

 「大野さん、待ちましたか?ぼくは五時ジャストに仕事を終え、すぐタクシーを飛ばしてここまで来たのですよ」山崎はすこし息を切りながら早口でそう言った。「そうそう大野さん、乗ってきたタクシーを玄関で待たせてあるんですよ。急がせてすいませんが早速出かけませんか?」山崎にそう促されて「ああいいですとも」と立ち上がった。それにしても手回しのいい男である。

 山崎のアパートはブロードウェイの八一丁目だと言い、修一の下宿からそう遠くはなかった。これなら帰りも楽だ、と内心喜んだ。

 車は夕闇の中をアップタウンに向かってスイスイと走って行き、十五分もたつともう彼のアパートの近くまで来ていた。山崎はブローでウェイ七九丁目でタクシーを止め、「ここからすぐ近くですから」と修一に告げると、前に立ってツカツカと歩き始めた。五十メートルほど歩いたところでふと足を止めた山崎は「大野さん、今夜の酒を買っていきますのでちょっとつき合っていただけませんか」と言った。

 八0丁目のリカーショップに入り、そこで彼はスコッチ3本と上等なワイン2本を購入した。全部自分で持つという山崎から、修一はワイン2本を無理やり取り上げて彼の後に従い八一丁目のアパートへと向かった。

 山崎のアパートはブロードウェイと八一丁目の角にあった。エレベーターが二基もついている玄関の広い大きなアパートで、九七丁目の修一の下宿のアパートのように古くなく、この辺りの建物特有の煤けた感じもなかった。
 
 山崎の部屋は八階にあった。ここもやはりダブルロックである。

 修一のところより十五ブロックほど下ったとはいえ、この辺りもまだウェストサイドの一画で、住人には黒人やペルトリコ人も多く、決して安全な住宅地とはいえないのだ。

 山崎の部屋はリビングルームとベッドルームに分かれており、リビングルームだけとっても、修一の下宿の部屋より数段広い。ここにも待遇のいい商社マンの生活ぶりが伺えた。

パーティは六時半からということで、まだ料理の用意はされていなかった。

 六時過ぎになると近くのスペインレストランから出前が運ばれてくるのだ」と、山崎が言った。しばらくして、丁度この夜の五人目の客が来た直後、二人のペルトリコ人がワゴン一杯に料理を積んで運んできて、リビングのテーブルにところ狭しと並べた。

 修一はホテルマンであることもあって比較的料理を見る目は肥えていたので、一目見てその料理がかなりお金のかかったものだと分かった。

 山崎はこの日の出席者は十人ぐらいだと言っていたが、実際に集まったのは八名で、彼を入れて総勢八名であった。

 山崎と同じ職場に勤め、このアパートの別の部屋に住んでいるN商事の橋本、同じくN商事ニューヨーク支店勤務で現地採用の寺本、それに山崎の会社のメインバンクであるT銀行ニューヨーク支店の佐々木と黒田、そして山崎や橋本がこのアパートで知り合ったという北海道に本社を持つ製紙会社駐在員の渡瀬、それにもう一人は山崎が接待でよく使うニューヨークでも高級度では五本の指に入ると言われている日本レストラン「杉」のマネージャー森川であった。 



(つづく)次回  7月2日(水)

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2014年6月28日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第14回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その4)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その4) 
 
 エールトンホテルでの早朝出勤も二週目に入り、次第に身体も慣れてきた。
 そんな週半ばのある日の午後、前の週にこのホテルのコーヒーショップで会ったN商事の山崎から突然電話がかかってきた。仕事が一段落して、そろそろこの日二度目のコーヒーブレイクでも、と思っていた矢先、チーフクラークのマックが「サミー、フレンドから電話だよ」と呼びに来た。それまで勤務中に外部からプライベートの電話がかかってきたことなど一度もなかったので、いったい誰だろう?」と、いささか怪訝な気持ちで受話器をとった。

 「ハロー ジスイス オオノスピーキング」と英語で話すと、「ああ大野さんですね。先日は失礼しました。わたしN商事の山崎です」と相手はいきなり日本語で返してきた。

「お仕事中突然お電話して申しわけないのですが・・・・」と続いた山崎の話の内容は、明日の夜、自分のアパートでこちらに滞在している日本人ばかりが十人ほど集まって親睦バーティをやるので、あなたも出席しませんか?というものであった。

 先週初めて会ったばかりで、まだ相手についてろくすっぽ知っていない山崎からのパーティの誘いに、はっきり言って戸惑った。日本人ばかりといっても皆知らない人ばかりだし、それに四時に仕事が終わるのも今週一杯。できることなら明日もまた早く帰ってバーマと話がしたい。そんなふうに考えながら修一は返事を躊躇していた。受話器の向こうの山崎も、そんな雰囲気に気づいたらしく、
「急にお電話して今すぐ返事をくれと言うのもなんですから、できましたら今夜にでもわたしのアパートに電話いただけませんか」と言った。

 山崎のとっさの判断力のよさに感心しながら、それを承諾し彼の電話番号を聞いて受話器を置いた。
 その後すぐコーヒーブレイクを取って外へ出た。

 七番街を横切り、前方のやけに敷地の広い大きな建物のほうへと歩いていった。
 丸い円筒状のこの建物は、かの有名な室内スポーツの殿堂「マディソンスクエアーガーデン」である。ここでは近々、プロボクシングヘビー級のアーリー(カシアス クレイ)の三度目のチャンピオン防衛戦があるということで、正面玄関の横には、今にも相手に殴りかからんばかりの鋭い目つきをしたアーリーと対戦者がファイティングポーズで向かい合った大きなポスターが貼ってあった。

 それを横目にして、建物の前の広大な敷地を歩きながら、修一はしきりに先ほどの山崎からの電話の件について考えていた。

 せっかくの誘いだから行ってみようか。でも彼のアパートはどこだろう。近いのだろうか? それにパーティはどれくらい時間がかかるのだろうか?
 
 そんなふうに考えながらまだ決断が就かないまま時計を見て、時間がきた、と来た道を職場へと引き返して行った。


 この日チーフのマックはなぜかすこぶるご機嫌だった。いつもはフロント中央の宿泊客のネームラックの前に立って、「シット!(くそったれ)」とか「ガッダム!(くたばれ)」だとかのあまり品のいいとはいえないスラングを吐きながら、どちらかと言えばしかめっ面をして仕事をしていることが多いのだが、この日のマックはいつになくニコニコしている。

 どうした風の吹き回しであろうか。客から思わぬチップでももらったのかな? それとも十二月も終わりに近づき、そろそろオフシーズンとなり、仕事が暇になってきたからであろうか。 いつもと違うマックのことをそんなふうに勘ぐった。

 すでに五0年配で、転職の多いアメリカ人には珍しく、このホテルにもう三0年近く勤めており、役職では彼より上のフロントマネージャーのウイルソン氏も、副支配人のマッコイさんもこのマックには頭が上がらないらしく、仕事上の議論などしても、いつも負かされてすごすごと引き下がっている。この道三0年のキャリアはやはり伊達ではないのだ。

 三時を回った頃、マックが修一の側に寄ってきて、「仕事にはもう慣れたか? 日本は恋しくないか?」などと聞いた。マックとしてはいつも「これをしろ、あれをしろ」と修一に仕事の命令をしているので、こうして近づいてきて、こんなふうに声をかけたのも、ほんのご機嫌とりのお愛想のつもりだったのに違いない。

 そうと分かっても、まんざら悪い気もしなかった。
 マックはあと一時間も仕事をすれば、明日と明後日は休みだと言った。
 この月の彼の休日は木曜日と金曜日であったのだ。

 ああそうか、それで今日のマックは機嫌がよかったのか、とここへきてやっと機嫌のいい理由が飲み込めた。 
「でも家の芝刈りがあるのでゆっくりとは休めないかもしれないんだ」 
 マックはそう言うと修一のほうへ向かってアメリカ人がよくやるように、両の手のひらを上に向けて肩をすぼめるポーズをした。そんなマックを修一は微笑ましげな表情をしてポカンと見ていた。

  
(つづく)次回6月29日(日)

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2014年6月25日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第13回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その3)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その3) 


 翌日も午後四時に仕事を終え、この日も寄り道をせずまっすぐ下宿へ戻ることにした。昨日のようにタイムズスクエアーのトップレスバーへ行ってみようか、などとは少しも思わなかった。それよりも一時も早くアパートへ戻って、昨日やってきた新しい下宿人のミス・バーマ フォスターと話してみたかったのだ。

 夕食は一旦帰ってその後出かければよい。そう考えながらその日はチャーリーの店も素通りした。
 帰ったときエセルは留守だった。多分いつも午後から出かけて行く病院からまだ戻っていないのだろう。

 キチンの隣の部屋からはズーズーという何か物でも引きずって動かしているような音が聞こえていた。

 「ははーん、ミス・バーマが家具を動かして部屋の整頓をしているのだな」
 修一はそんなふうにに想像した。リビングルームに座って帰りに買ってきたタブロイド版の夕刊紙に目を通していると、奥からバーマがやってきて「いつもこんな時間に帰ってくるの?」と、澄んだ声で聞いた。「いや、今日は特別に」と、言いかけたが、そんなふうに言うと、何か下心を見すかれそうな気がして「四時で仕事を終えたときは、まあ大体こんな時間だよ」と応えた。

 「わたしもここへ座っていいかしら?」バーマはそうことわりながら斜め前のソファに腰を下ろした。ジーンズに包まれたスラーとした長い足が修一の目をまぶしく捕らえた。

 いったい何から話せばよいものか、と戸惑っていると「昨日の自己紹介の続きをするわ」と、バーマが話を切り出した。

 彼女はドイツ系のカナダ人だそうで、このニューヨークへは商業美術の学校へ入るためにやった来たのだと言う。 「父はトロントのハイスクールの数学の教師をしているんだけど、わたしがこちらに来ることを相当反対したわ」バーマはそんなことも話した。父親が高校の数学教師か。それじゃあこの女性の性格はどちらかと言えばお硬いほうなのかもしれない。そのとき修一はそんなふうに思ったりもした。

 バーマが一呼吸置いたとき、今度は修一が口を開き、自分自身について話した。そして、話の最後に「今度暇を見つけて職場のエールトンホテルに遊びに来るように」と付け加えた。

 それに対してバーマは「チャンスがあったらぜひそうするわ」と、素直に頷いた。

 彼女の髪の毛はブロンドではあったが、ピカピカと輝くような色ではなく、光沢はそれほどなく、どちらかと言えば茶色に近く、見た感じでは比較的地味な色であった。鼻は先がツンと尖っており、顔立ちも整っていたが、化粧をしてないせいか、二九歳の年齢よりすこし老けて見えた。決して飛び切りの美人とは言えないが、胸が大きく盛り上がっていて、長い足とよく調和しており、それなりに魅力的だと修一は思った。

 リビングルームで二人がとりとめのない話を続けているところにエセルが戻ってきた。入るなり「サミー、今日は帰りが早いのね」と言うので、修一は一瞬胸がドキッとした。でも別に下心があって言ったようでもなかった。

 予想どおりエセルは病院へ出かけていたらしく、ダイニングに入るなり持ち帰った分厚い袋からテーブルの上にあれこれとたくさんの薬を広げていた。

 壁にかかった年代物の柱時計が七時を差しているのを見て、少し空腹感覚えてきた修一は思い切ってバーマを食事に誘ってみた。エセルの手前すこし気後れを感じないでもなかったが、こんな時間だと彼女とてきっと空腹に違いない。そう思って勇気を出して誘ってみたのだ。それが見事功を奏して、バーマはすこしも躊躇せず「オーケー」と明るく返事した。

 エセルに断って二人で外へ出た。長時間部屋のスチームに当たって身体が温まっていたせいか、夜風もさほど冷たいとは思わなかった。通りへ出るや否やバーマが「わたしこの街並み好きだわ」と言った。来て早々こういうことが言える彼女の感性に多少驚きはしたが、そういえば修一自身も近頃では次第にそう感じるようになっていた。通りに面して両側にきっちりと並ぶ建物は全般的に煤けていて、ムードとしては暗いが、それはそれで煤けた古い建物ゆえの趣と味わいがある。

 心配していた犯罪にしても聞くほどのこともなく、これまでのところまだ一度も危ない目に遭ったことはない。

「僕もこの街は好きだよ」修一はバーマにそう応えた。

 大通りへ入る手前でチャーリーの店へ行こうかと一瞬思ったが、今日は止めておこうと、すぐ思い直した。昨日鼻血のことで冷やかされたばかりだし、今日女性連れで行ったりして、また続けて冷やかされるのが嫌だった。 

 バーマに「中華料理は好き?」と聞くと「大好き」と彼女は答えた。
 それなら決まったとばかり、何度か行ったことのあるアムステル街95丁目の中華レストランへと向かって行った。

 店に入って料理を注文するとき、修一はなぜだか、この際何でもいい、というような気がしてメニュー選択はすべてバーマの好みに合わせた。

 テーブルに所狭しと五~六品の料理の皿が並び、それを二人が両側から取って食べた。どのお皿にも出来立ての料理が山ほど盛られており、バーマが「朝までかかっても食べきれないわ」とジョークを飛ばすほどのものすごいボリュームである。

「わたしニューヨークに居られるのは半年だけなのよ」
食べるのが一段落したところでバーマがボソリと言った。

「そうか、たった半年しか居ないのか、じゃあアッという間だね」
「そうでしょうね。わたしとしてはもっと長い間居たいのだけど、それ以上は奨学金が出ないのよ。もともとこちらに来るのに反対だった父からの送金は望めないし、だからと言ってまだ自分で生活費を稼ぐ自信もないし、やはり半年たったらカナダへ帰るより仕方がないわ」
 
 そういいながら彼女はやや憂いを含んだ目で修一を見た。
 わずか五0センチほど先にあるバーマのそんな表情の彫りの深い顔を美しいと思った。バーマが半年しかニューヨークに居ないと聞いてすこし残念に思ったが、それにも増して二九歳になってでもまだ奨学金の貰えるカナダ人が羨ましく思えた。

 食事が終わってキャッシャーへ立ったとき、バーマが十ドル札を渡そうとした。
「いいよ。これは僕が払うから」と、それを引っ込めさせようとすると彼女はなんとなく怪訝な顔をした。さすがに日本女性とは違うなと思いながらも、「僕の国の日本ではレストランでの支払いはどんな場合でも男性がやることになっているんだ」と、ややはったりじみたことを言った。そう聞いてバーマもなんとなく納得した顔になり、十ドル札を財布に戻した。それを見ながら修一は、習慣の違う国の人を説得するのに、これはいい方法だ。我ながらとっさにうまいことを言ったものだと、ささやかながらも自己満足していた。

 二人は七時に出てから二時間後の九時に下宿に戻ってきた。

 バーマは「素敵な夕食をありがとう。とてもおいしかったわ」といって自室に引き上げて行った。
 部屋に戻ってドカッと椅子に座ると、満腹感からか、しばらくするとものすごい睡魔が襲ってきた。


(つづく)次回6月28日(土)

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2014年6月22日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第12回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その2)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その2)

 その日午後四時に仕事を終え、早々と着替えをすませて街へ出た。 
 日暮れまでにはまだ一時間あまりある。地下鉄乗場へ向かって歩きながら、ふと二日前に行ったタイムズスクエアーのトップレスバーへでも行ってみようかと思ったが、慣れない早朝からの勤務で身体が疲れていたせいか、次第にそれも億劫に思えてきた。「これから二週間はずっとこの時間帯に帰れるのだし、あそこへはまたいつでも行けるではないか」そう思って、その暇まっすぐに九七丁目の下宿へ帰ることにした。

 地下鉄を降りてチャーリーの店に寄り、この前の鼻時のことを冷やかされながらビーフシチューと硬めのライスで夕食をすませ、エセルのアパートへ戻ったときは、それでも六時を少し回っており、辺りにはすっかり夜のとばりが下りていた。

 ダブルロックを開けて中に入ったとき、辺りになにかいつもとは違う雰囲気が漂っているのを感じた。普通は閉まっているキチンの隣の部屋のドアがなぜか開け放たれており、奥のほうからはエセル以外の別の人の声が聞こえてくる。怪訝に思いながらリビングルームへ入っていくと、エセルの前に見知らぬ若い女性が腰掛けていた。「誰だろう?」と思いながらも、とりあえずその人に向かって「ハロー」と
挨拶した。

 「サミー、この人がこの前話した新しい下宿人のミス・バーマ フォスターよ」と、エセルが言った。それを聞いてびっくりした。初雪の降った朝、十二月から新しい下宿人がやってくるとは聞いていたが、まさかそれが女性だとは思ってもみなかった。「二九歳のカナダ人よ」エセルからそう聞いたときは頭の中で、背の高い金髪の青い目をした男、と勝手に決め込んでいたのだ。

 エセルからは過去にこのアパートにいた多くの下宿人の話を聞いたが、その中に女性の下宿人の話など一度も出てこなかったし、背の高い金髪の男という想像も、それまでのいきさつからは自然なことなのである。

 目の前のその新しい下宿人ミス・バーマ フォスターは立ち上がって自己紹介した後で右手を差し出した。修一も慌てて手を出し握手に応じたものの、突然のことでドギマギしたせいか自分の紹介がずいぶんぎこちないものになってしまった。

 立ち上がったミス・バーマはどう見ても修一より二~三センチ背が高い。
 日本人の自分の体格も欧米人に比べると、女性にも劣るほどまだまだ貧弱なのだと、嘆かわしい思いだった。

 また腰を下ろし話を続ける女性2人に別れを告げ、自分の部屋に戻ったときの修一は、なんとなくソワソワして落ち着かなかった。

 飛びきり若いとは言えないが、これからは金髪の白人女性と同じ屋根の下で暮らすことになるのだ。そう思うと、先ほどのドギドキした気持ちは次第にワクワクとしたものへ変わっていった。


 部屋に戻ってしばらくの間はそんな浮ついた気分であったが、しばらくして少し落ち着きを取り戻した修一は、ふと、東京のオーシマホテルへ一ヶ月に一度レポートを提出しなけらばならないのだが、その時期が迫っていることに気がついた。

 こちらのホテルでの研修内容およびその感想。それにニューヨークの全般的なホテル事情などをレポート用紙十枚程度にまとめて毎月十日までに人事部長宛に送ることが義務付けられているのだ。

 来る前にそれについて聞いたときは「そんなの軽い」と高をくくっていた修一だが、いざこうして取り組まなければならない時となれば、レポート用紙十枚はズシリとこたえる。せめてこれが半分の枚数ならと、ここへきて修一はずいぶん虫の良いことを考えていた。

 それにこのレポートだけでなく、総務課で社内報を編集している河野嬢からは「社内報の記事としてニューヨークでの生活ぶりをぜひ書いて送ってください」と頼まれているのだ。この方は期限はないものの、そうかと言って余り間をおくと、待っている相手は気が抜けてよくないだろう。

 「あーあ、レポート二題の作成か」そう思うと修一は先ほどのワクワクした気持ちも次第に失せていき、重たい気分になってきた。

 それでも、まだ八時か、と時計を見て意外に早いことに気付いてから、とりあえずレポートだけは今夜中にまとめてしまおうと心に決め、引き出しから日本から持参してまだ一度も使っていない新しいレポート用紙を取り出し、それにエールトンホテルでの仕事内容などをメモした小さいノートも取り出した。

 机の前に座った修一は先ほどとは違って大分落ち着いてきてはいたが、引っ越してきたミス・バーマのことがまだ時々チラチラと頭をかすめていたた。

 来たばかりで今日は疲れただろうから、早く眠るかもしれない。もうバスには入ったのだろうか? バスルームは修一の部屋を出てすぐ右手のリビングルームの前にある。エセルがそこへ入るときは、いつもドアをバタンと閉めるのですぐ分かる。

 ペンを握り、レポート養子に向かってはいたものの、気持ちはあらぬ方向にそれていて少しも集中できなかった。再度時計に目をやり「いかん、いかん」と大きく呟いた。そして相撲の取り組み前の力士がよくやるように、両手で顔をバシッと叩き、今度は真剣にペンを走らせていった。

 ようやくレポートを書き終えてペンを置いたとき、時計はすでに十二時を差していた。三時間の予定が一時間近くもオーバーしている。こちらへ来て一ヶ月あまり、絵葉書と散発的に書く日記以外には日本語を使っておらず、文章感覚が少し鈍っているようであった。

 隣の部屋からまたエセルが咳をしているのが聞こえたが、それは長くは続かず、気になるというほどのものでもなかった。

 ベッドに入る前にシャワーを浴びることにしてリビングのほうへ出て行った。
 そこからキチンの隣のミス・バーマの部屋のほうを伺ったが、静かで何の物音も聞こえなかった。どうやらもう眠ったみたいだ。そう思いながらバスルームに入り、ものの五分もシャワーを浴びたかと思うとすぐ浴室を出てきて、あたふたとベッドへもぐり込み、やがて深い眠りへと落ちていった。


(つづく)次回6月25日(水)


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2014年6月21日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第11回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その1)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その1)

 外は相当寒いのか通りに面した部屋の窓はすっかり白く曇っている。早朝のしじまを破ってゴミ収集車の忙しげな音が聞こえてくる。

 このアパートへきて初めて聞く音である。これがウェストサイドの朝の音なのか? そんなことを思いながら修一はベッドを抜け出してすばやく出勤の支度にとりかかった。十二月に入り、エールトンホテルでの修一の勤務は、それまで四週間続いていた午後四時出勤のシフトBから朝八時出勤のシフトAへと変わっていた。

 二日間の休日を挟んでの変更であったが、まだ前の週までの朝寝の習慣が残っており、七時前の起床はつらかった。 さすがにこの時間だとエセルはまだ起きていない。

 風こそなかったが、外は身の縮むような寒さである。コートの襟を耳まで立て、両手をポケットに深々と突っ込み、修一は小走りに地下鉄へと向かった。

 それまでの午後の出勤ではずっと各駅停車のローカルを利用していたが、さすがにこの日は八六丁目までくるとエキスプレスに乗り換えた。なんと言っても朝の十五分は貴重である。


 午前八時、この日初めて早朝出勤の職場について驚いた。二000室の客室をもつこのホテルの朝はまるで戦場のようにけたたましい。

 大きな荷物と一緒に各フロアから宿泊客が出発のためにいっせいに一階ロビーに下りてくる。何百人の客があちこちで輪を作り談笑する声がワーンというひとつの塊になって広いロビー全体を包んでいる。

 そんな喧騒の中で、フロントデスクのカウンターに立った修一は、前から、左右からと間断なしに渡される膨大な量の部屋のキーを、必死になってキーボックスへ収める作業を繰り返していた。このめまぐるしいだけの単調な仕事が、その朝修一に与えられた任務であった。

 それでも十時を回る頃になるとさすがに出発客も減り始め、それまで怒涛のごとく押し寄せていたキーの波も少しずつ途切れるようになっていた。

 この日職場に就いたのは仕事の始まる八時ぎりぎりで、その前にモーニングコーヒー一杯すら飲む余裕がなかった。鍵の収納が一段落したとこで、チーフクラークのマックにことわりコーヒーブレイクをとることにした。

 この職場では昼の五0分の休み以外に午前と午後に各二0分ずつのこービーブレイクが認められていて、各々が仕事の状態を見ながら適当な時間にとることになっていた。コーヒーブレイクと言っても、別に皆がコーヒーを飲むわけではなく、その過ごし方もいろいろあって、ロッカールームのソファで休む者、しばしの間外へ散歩に出かける者、そしてコーヒーショップで遅い朝食をとる者と、皆それぞれである。

 この日朝から何も口にしていなかった修一は、ロビーの隅にあるコーヒーショップは行き、好物のチーズバーガーとコーヒーを注文した。

 楕円形の長いカウンター席には修一と同じように遅い朝食をとっている宿泊客らしき人々がまだ十数人も残っていた。隅のほうへ座って中をグルッと見渡すと、カウンターが大きくカーブした左斜めの席の二人の日本人の姿が目に入った。

 そのうち一人は確か一時間ほど前にフロントにやってきて、東京から来ている近藤誠二と言う人のルームナンバーを教えてほしいと尋ねた男だ。とすると、隣の人がその近藤誠二さんなのか?

 そう思いながらぼんやりと二人のほうを見ていると、先方も修一のことに気付いたらしく、先ほどの男がニコッとして会釈した。つられて修一も頭を下げた。

 修一がまだチーズバーバーをかじっているとき、二人は席を立って出口に向かって歩いて来た。一人がキャッシャーで支払いをしている間に、会釈したほうの男がツカツカと寄って来たと思うと「先ほどはありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。

「どういたしまして」修一がそう言い終わるか終わらないうちに、その男は「こちらにはいつからお勤めになっているのですか? わたしは今日のように日本から来た人を迎えにちょこちょここのホテルへ来るのですが、お目にかかるのは初めてですね」と言った。「日本からやってきて、こちらへ勤め始めたまだ一ヶ月です」

 修一がそう応えると、男はポケットから名刺を取り出して渡した。
 N商社ニューヨーク支店 山崎憲一とある。
 「こちらへ来てもうすぐ二年になります。仕事でよくあちこち行きますので今ではニューヨークのことはかなりよく分かっているつもりです。何かこちらのことで分からない事がありましたら、いつでもわたしのオフィスへお電話ください」

 山崎はにこやかな表情でそう結んだ。さすがは一流商社マンで如才がない。年齢は修一より五~六歳上の、多分三0を少し超えたぐらいに違いない。頭髪は七三にキチッとわけ、メタルフレームのメガネをかけて、キリッと口元の締まったその表情からは、いかにもやり手商社マンということが伺えた。
 この日の出会いをきっかけにして修一と山崎のニューヨークでの楽しい交友が始まったのだ。

(つづく)次回6月22日(日)


2014年5月 第1回~第2回
2014年6月 第3回~第10回  

2014年6月19日木曜日

これは驚き!コンビニの客層が大変化 ・ なんと一番多いのは50歳以上!




コンビニの客は50代以上が最も多いとは、誰も想像できない

コンビニの客層で多い年代は?と聞かれれば、おそらく多くの人が10代~20代を挙げるのではないでしょうか。


つまりコンビニの客のイメージとして、すぐ「若い人」が頭に浮かぶからです。


でもこれは一昔前までのことで、どうやら今ではそういったイメージを抱くこと自体間違っているらしいのです。


いまやコンビニの客層で一番多いのは10代~20代ではないのです。


上の表を見ていただくと、それがよく分かります。驚いてはいけません。なんと今コンビニの客層で最も多いのは50代以上なのです。


50代以上ということは、65歳以上の高齢者も含まれていることになります。


高齢化社会で65歳以上の人口が25%にもなっていることを考えれば、ある程度この年代の客層が増えるのは頷けます。


でも、コンビニに50歳以上の人が最もよく足を運ぶということは、はっきり言って理解に苦しみます。なぜならどう考えても<コンビニ=高齢者>という図式を頭に描くことができないからからです。


でもこれは事実らしいのです。上のグラフにもそのことがはっきり出ています。これによりますと、いまやコンビニの客層の順位は

①  50歳以上
② 20~29歳
③ 30~39歳

となっており、ひと昔前と比べて大変化を遂げているのです。


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大変化を遂げたコンビニの顧客年代層

コンビニエンスストア(コンビニ)は深夜営業を行っている場合が多いため、かつては独身の若者がたむろする場所としての性格が強かったように思われる(図録5620参照)。ところが最近は徒歩圏、小口多頻度のよろず屋としてシニア層・シルバー層(中高年層)になくてはならない存在へと性格を変化させているように感じられる。

 この点をうかがわせるデータとしてコンビニの来店客の年齢層を変化を示したデータを掲げた。図で見たように高齢者がコンビニで買い物する額はさほど多くはないが、高齢者の人数的なボリュームの増大が大きく影響していると考えられる。

 セブン・イレブンに来店する客は、1994年には57%と6割近くが20歳代以下の若者層であり、50歳以上は11%と少なかった。ところが、2011年には、20歳代以下は33%と3分の1にまで縮小し、一方、50歳以上は31%と若者層と同じぐらいのシェアとなっている。変化の推移を見ると若者層の縮小は2009年まで進んで今は横ばいなのに対して、50歳以上のシニア層は今なお拡大の傾向にある。

 こうした客層変化に対応して、各コンビニ・チェーンはシニア向け、シルバー向けの対応戦略に取り組んでいる。毎日新聞2014年5月13日夕刊によると、「コンビニエンスストア各社が、宅配や健康志向など中高年の目線でサービス・商品の開発を急いでいる。

東京・豊洲に国内初のコンビニが開店してから15日でちょうど40年。「若者の店」からシニア世代に対応した店へ、コンビニも“円熟”しつつある。」東日本大震災の際は、「首都圏でも商品供給が混乱するなか、物流に強みを持つコンビニの回復は早く「買い物に困ったシニア層が『身近な店』としてコンビニを発見し、来客が増えた」(ファミリーマート)」といわれる。同紙は、以下のような各コンビニの取り組みを紹介している。こうした取り組みを行っているからシニア客、シルバー客が拡大しているという側面もあろう。

各コンビニチェーンのシニア客対応

セブン ・2012年から配食サービスに本格的に乗り出し
・商品宅配の実施
・弁当など「即食」商品が中心の品揃えからシニアのニーズに合わせ小分け惣菜や加工食品を大幅拡大
ローソン ・「健康」テーマに低糖質パンヒット(2013年)
・2016年度には食品の25%を健康志向商品に切替の計画
ファミリーマート ・ビッグデータの活用によりシニア向けプライベートブランド(PB)開発に力点(「おとなのおやつ」シリーズ)
・調剤薬局との融合出店
・小容量の冷凍食品の販売(今春より)
ローソン ・シニア女性のリピート買いが多い「サバのみそ煮」など商品群の絞り込み (資料)

毎日新聞2014年5月13日夕刊

社会実状データ図録 (2014年5月17日収録)

2014年6月18日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第10回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第1章・眠られぬ夜(その10)




マンハッタン西97丁目 第1章「眠られぬ夜」(その10)


 映画館を後にして、少し歩いて今度は43丁目のピザハウスに入った。そこではは若い男性店員が焼く前のピザを天井に付くかと思うぐらい、両手を大きくひねって回転させながら高く放り投げ、徐々にそれを広げていくという、まるでサーカスの曲芸のような派手なデモンストレーションを繰り広げていた。

 その見事な手さばきにすっかり感心して見とれながら焼きたてのピザを口いっぱいにほうばった。
 香ばしいチーズの香りが口にひろがり、修一は思わず「うまい!」と小さな声を漏らしていた。

 おいしいピザで腹ごしらえをした後、また少し歩いて今度は四十四丁目角までやってきた。そこの一軒の店先には、男性にはなんとも魅力的な「トップレス」という看板かかっており、それに惹かれて地下のバーへ入って行った。

 カウンター右手の小さなステージでは、豊かな胸を肌けた二人のゴーゴーダンサーが金髪をたなびかせ賑やかなロックリズムにあわせ腰をくねらせていた。それを横目にしながらカウンターの前に立った修一は、赤ら顔の太った中年のバーテンに向かってややぎこちない口調で「ビアー プリーズ」と言った。

 ゴーゴーダンサーのおかげでまたしても興奮を覚え、火照って熱くなった顔をもてあましながら、そのトップレスバーを出たとき時計はすでに九時を回っていた。

 「もうこんな時間なのか、お名残惜しいが今日のところはこれで帰ることにするか」そう呟くと、修一は人ごみを縫ってタイムズスクエアーの地下鉄乗場へと歩いて行った。すでに路上の雪はほとんど溶けてはいたが、道路端のところどころには小さな雪の山ができていた。

 地下鉄の車内で修一はしきりについさっき見たゴーゴーダンサーと、その前に見た映画のシーンを交互に思い出し、たまらないほどの下半身の緊張感と胸苦しさに耐えていた。

  チャーリーの店まで戻ってきたとき、時計はまだ十時少し前であった。

 「ハーイ チャーリー」と大きく手を上げて入ってきた修一を見て、チャーリーは少し怪訝な表情をした。そしてすぐ「こんな時間にどうしたんだ」と尋ねた。
 無理もない。これまでこの店に午前中以外はまだ一度も寄ったことがなかったのだ。 ましてや閉店時間の比較的早いチャーリーの店のこと、そろそろ店じまいでも、と思っていた時刻の修一の来店である。驚くのも無理はなかった。

 食べ物と言えば三時間ほど前にタイムズスクエアーでピザを食べただけであり、そのときはかなり空腹感を覚えていた。修一はチャーリーに、この店で何度か食べたことのある分厚いロースとビーフが何枚も重ねて入っている特性のサンドイッチとポタージュスープを注文した。

 このサンドイッチをはじめて見たとき、そのボリュームには度肝を抜かれた。なんと上下二枚のパンの厚みより中に挟んでいるローストビーフのほうが厚いのである。日本でこれまでに食べたビーフサンドと言えば、レタスとかキュウリとかと一緒に薄く切ったビーフが一枚か二枚挟んでいるだけで、全体の厚みにしてもせいぜい三~四センチ。

 ところがこのビーフサンドと言うと、中のビーフだけでも優に五センチほどの厚みがあるのだ。それにレタスとパンの厚みが加わり、口を一杯あけても入るかはいらないかの分厚さなのである。

 修一はこれがアメリカなのだと感心し、なにか一種のカルチャーショックのようなものを感じた。

 やがて出されたその分厚いビーフサンドに舌鼓を打ちながら、うつむいてスープを飲もうした。はじめそのスープは鮮やかな薄黄色で、他に何の色も混ざっていなかったはずなのに、そのときはところどころに赤い点ができて全体に少しに濁っていた。

「おやー、どうしたんだろう。色が変わって?」と怪訝に思っていると、突然口の上辺りになま暖かい感触があって、その後で赤いしずくがボチャンとスープに中に落ちてきた。あわてて鼻のほうへ手をやると、指先が赤く染まった。鼻血が出ていたのである。

「チャーリー、ギブミー ペーパー」修一はあわてて大声を出した。びっくりして振り返ったチャーリーだったが、鼻から下を赤く汚した修一を見てすぐ事情を察したらしく、紙ナプキンを鷲掴みにして寄ってきた。

「一体どうしたというんだ、鼻血なんか出して」チャーリーがそう聞いたが、修一にもなぜ突然鼻血が出たのかさっぱり分からなかった。

 渡してくれた紙ナプキンを五~六枚まとめてコップの水につけ、それをギュッと
絞り先を丸めて鼻の中へ押し込んだ。四度か五度それを取り替えているうちに、しばらくすると鼻血は止まった。テーブルに散らかった濡れ手ナプキンを片付けながら、修一はしきりに鼻血の原因を考えてた。

 鼻血は興奮したり、熱中したりしたときに出ることがあると言う。
 もしかして昼間見たアダルトムービーやトップレスダンサーのせいなのだろうか? 

 修一はなぜかふと、カールトンホテルのインフォメーションデスクで働く同僚のミス・ルーシーが同僚との挨拶で相手に向かって「ハウ イズ ユアー セックスライフ?」と尋ねていたのを思い出した。

そして、もし今、自分にその質問が向けられたなら、間違いなく「ノーグッド」とか「ベリー プアー」としか答えようがない。 そう思って修一は苦笑した。(第1章 眠られぬ夜 終わり)

(つづく) 次回6月21日(土)


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2014年6月15日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第9回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第1章・眠られぬ夜(その9)




マンハッタン西97丁目 第1章「眠られぬ夜」(その9) 

 
ールトンの仕事が休日であったその日、エセルに朝食のお礼を言うと、前々から予定していたタイムズスクウェアーへと出かけるため、すばやく身支度にかかった。

 僅かだが初雪の積もった外は寒そうである。いちばん厚手のジャンバーをクロゼットから引っ張り出してそれを着込むと手にマフラーをつかんで外に出た。 陽の光路上の雪がキラキラと輝いている。風もなく、思ったより寒くなかった。

 この分だと今日の雪はすぐ溶けそうである。凍結を心配していたエセルも喜ぶに違いない。少し溶けかけた雪の上を滑らないように気をつけてゆっくり歩いた。今日はチャーリーの店は素通りだ。中をチラッと覗いてみると、客は一人もおらず、カウンターの奥でチャーリーが新聞をいっぱいに広げて読んでいる。

 帰りが早かったら、また夜にでもきてみよう。そう考えながらフロードウェイ九六丁目の地下鉄乗り場へと向かっていった。

 どの街だってそうだが、昼前の地下鉄は空いている。まばらな人影のホーム立った修一の目に、柱に貼ったポスターの太い文字が飛び込んできた。

ニューヨーク市シティコード(1)唾をはくな。2)ちらかすな。(3)うろうろとほっつき歩くな書いてある。(1)と(2)はまず常識的だとしても、(3)がちょっと変わっている。(1)について言えばこちらへ来てまだ一度も路上に唾を吐く人を見かけたことがない。やたらにそうした光景を目にすることのある東京などでこそ、こうしたポスターが必要なのではないかと修一には思えた。
 
 ブロードウェイ九六丁目で乗車して、ローカルだと七つ目の駅がタイムズスクウェアーである。ここはニューヨーク最大の歓楽街。位置としてはマンハッタンを斜めに走るブロードウェイと七番街が交叉する辺り一帯を言うのである。

 かの有名なブロードウェイミュージカルが上演される大小の劇場、二十四時間オールナイト営業の数々の映画館、世界中のありとあらゆる国々の料理を提供するエスニックレストランなど々、およそ退屈などという言葉とは縁の無い、別名「不夜城」とも呼ばれるニューヨークが誇る偉大な歓楽街なのである。

 修一とて東京の都会育ち、新宿歌舞伎町あたりの歓楽街もしばしば経験している身であったが、なにしろここタイムズスクエアーはそのスケールが違う。見るもの、聞くもの、すべてがこの上なく華やかでエキサイティングなのである。

 ここの駅に降りてから、「その場所」で立ち止まるまで、修一はもう二時間あまりも、このタイムズスクエアーをあちこち歩き回っていた。一時間ほど前にも一度そこで立ち止まったのだけど、そのときはなんとなく入るのを躊躇って通り過ぎてしまった。

 そして辺りをグルグル歩き、再びその建物の前にやってきた。 入り口に「アダルトムービー」と書いた大きな看板はあるものの、日本だとその種の映画館に必ずある、あのけばけばしいポスターはない。もし、そこにアダルトムービーという表示が無ければ、何の建物かさっぱりわからないほど、入り口は地味で、かつシンプルなのである。 修一は今度は意を決して六ドル払って中へ入った。

  さすがはタイムズスクエアーのど真ん中、ウィークデイの昼間だというのに客席は七~八割がた詰まっている。暗い客席を手探りで進みながら、前方のスクリーンに目をやった。そしてそこに広がる予想以上になまなましい映像をを見て、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


 それから二時間以上もの間興奮しぱなっしであったせいか、外へ出たときの修一は少しぐったりしていた。辺りはすでにうす暗闇に包まれている。あちこちのネオンサインには色鮮やかな明かりがともされ、町の様相は入る前とはまるで一変していた。 タイムズスクエアーにはやはりネオンサインがよく似合う。


 この日修一がここへやってきたのは、なにも六ドルのアダルトムービーを見ることだけが目的ではなかった。

エールトンホテルのフロントで働いている修一のところへは、よく日本人宿泊客がやってきて、ニューヨークの観光についてあれこれ尋ねる。修一は客室を提供する「ルームクラーク」であって、そうした案内を担当する「インフォメーション係」ではなかったのだが、英語にあまり自信のない日本人客が多く、現地人の従業員を敬遠して、自然に修一のほうへと寄ってくるのだ。

 まあそれも人情であって仕方がない。ごくたまに若い女性の二人連れなどもあったが、たいていは男性客であっる。

 したがって当然のごとく案内先は昼間の観光コースにあらず、夜の歓楽コースであることはいた仕方ない。でも修一とてここへ着てまだ一ヶ月しか経っておらず、まだ人に案内できるほど知識はじゅうぶんではなく、正直言って彼らの期待にはじゅうぶん応えきれてなかった。

―これでは駄目だ。このホテルには日本人客が多く、修一を研修生としてフロントへ置いているのも、そうした日本人客へのサービスの一環であるのかもしれない。とすれば、なんとしてもそうした人たちの要望に応えなければならない。

 誰がそういったわけではないが、そう思った修一はニューヨークの観光、とくにナイトライフについて勉強する義務のようなものを感じた。

 この日こうしてタイムズスクエアーに出向いてきたのも、日本人客への案内のための実地調査という大きな目的があったのだ。


(つづく) 次回6月18日(水)


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