2014年6月1日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第3回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第1章・眠られぬ夜(その3)




マンハッタン西97丁目第1章「眠られぬ夜」(その3)


このところの修一の朝は遅い。ともすれば昼過ぎまでベッドの中へいることもある。仕事で夜が遅いので、ある程度は仕方ないとしても、なんとかもう少し早く起きなければと、自分ながら思っていた。

 昼前に外へ出て、いつものようにコロンブス街の角にあるチャーリーのカフェへ行った。この二週間位は二日とあけず通っているので店主のチャーリーもすっかり打ち解けてきた。

この店に初めてきた日、チャーリーは修一に向かって「アーユー ア チャイニーズ?」と聞いた。なんでこの僕がチャイニーズなんだと、少し不機嫌な表情で「ノー アイアム ア ジャパニーズ」と、やや語気を荒げて応えた

そんな修一を見て、なぜこんなことぐらいでムキになるのだろう?とでも言うふうに、チャーリーはポカンとした顔立っていた。

 しばらくして修一自身もそんな応え方しかできなかったことに対して、何か照れくささを感じた。考えてみれば、我々日本人だって、西洋人を見ただけで、その国籍までわからないではないか。それも特に、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人の三者を外見から判別するのは至難のわざだ。それと同じように西洋人にとっても東洋人、特に日本人、中国人、韓国人を判別するのは、また困難なことなのに違いない。

そう考えていると、なにかチャーリーに対して悪いことでもしたような気がして、お詫びのつもりで、欲しくもないチェリーパイを追加で注文したりした。そしてこれからもできるだけこの店へ来るようにしようとそのとき心に決めていた。

 
 昼を少しまわったころ、カフェを出て、来た道をエセルのアパートの方へ戻っていった。でもアパートは通り過ぎて、やや下り勾配のストリートをハドソン川のほうへ向かってなおも歩いて行った

 マンハッタンで最も西側のアベニューであるウエストエンドの交叉点を渡ると正面に急角度の階段があって、それを20段ほど下りると公園の入り口がある。そこはリバーサイドパークといってハドソン川ウエストエンドアベニューに挟まれた延々数十ブロックにも及ぶ大公園なのである。

 修一は朝夕となくこの公園を散策するのが好きだった。こちらへ来て間もないころ、一日がかりでマンハッタンの街を歩いたことがある。そのとき驚いたことは、天を突くように聳え立っている高層ビルの数もさることながら、この街にある公園の多さと広さである。

歩いても歩いても尽きることのないセントラルパークは別格として、街のいたるところ広くて緑豊かな公園がある。


 ニューヨークといえば、ともすれば人種のるつぼとか、摩天楼とかだけが前面に出てくるが、それにも増してPRされてもよいのが、この公園の数と大きさではないだろうか。その頃の修一はこの街についてそんなふうに思っていた。

 公園に沿ってハドソン川が流れている。水量が多くて、いかにもゆったりとした流れである。この川を一日何回かのマンハッタン島1周の遊覧船が通る。周囲を海と川に囲まれたマンハッタンは、この船に乗るとうまく一周できるようになっているのだ。 

 いったい船から見るマンハッタンはどんなものだろう? きっとすばらしいに違いない。前々から一度この船に乗ってみようと思いつつ、まだ果たしていない。早く乗ってみたい! 来るべきその時のことを想い、修一の胸は弾んだ。

 川の対岸にはニュージャージーの街並みが広がっている。高層ビルのマンハッタンに比べると低い建物が多く緑も豊かで、いかにも閑静な住宅地であることがこちら側からも伺えた

 チャーリーの話では、このところ犯罪の多いニューヨークから、このニュージャージーへ移り住む人が多いそうだ。そのことをニューヨーク市長は大変残念がり、防止するのにやっきになっているとのことである。市長ならずとも、市民なら誰しも残念に思うだろうとこのことに関しては修一とチャーリーの意見は一致していた。

 リバーサイドパークをブラブラしているうちに気がつくとかれこれ二時ちかくになっていた。

「あれっ、もうこんな時間なのか。そろそれ帰って出勤の支度をしなくちゃ」修一はそう独り言を呟くと、エセルのいるアパートへと戻って行った


(つづく) 次回予定6月4日(水)


(第1回)  2014年5月28日
(第2回)  2014年5月31日

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