2014年7月30日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第28回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その10)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その10) 

 それから十五分ほどしてからであろうか、入口のドアが激しくノックされたので修一は急いで戸口に走った。念のためドアスコープを覗くと、なぜか二人のポリスが立っていた。

 救急車と聞いて、てっきり白い服を着た人が来るとばかり思っていたのでドアの前の二人を修一は不思議に思った。

 ドアを開けると二人のポリスはそこに立っている修一を見て一瞬怪訝な表情をしたが、「ミセス・ウインストンの家か?」とだけ聞くと、ズカズカと中へ入ってきた。

 一人の方は修一が首を後方に曲げなければその顔が見えないほどの大男であり、もう一人はガッチリ型で背は修一よりやや高い程度で、どちらかと言うとずんぐりした男であった。大男の方のポリスがエセルに二言、三言喋った後、今度は修一に向かって身分を聞き、その後で「一緒に付き添ってほしい」と言った。

 修一はとっさのその申し出に戸惑った。するとポリスは「病院での手続がすんだら帰っていいから、とにかくついてきてくれ」と念を押した。

 何の手続か知らないが仕方ない、と思い「OK]と応え、部屋へ戻って急いで身支度を整えた。二人のポリスが両側からエセルを抱えて外へ出た。

 身を切るような寒さに歯がガチガチと鳴った。

 大型セダンのパトカーが玄関の前に横付けされており、修一とエセルは後部シートに乗せられ、小さい方のポリスが運転席に座り車は走り出した。

 車はアベニューを何本も横切り、イーストリバーの方へ向かって走っていった。もう深夜の三時に近く、辺りは森閑と静まり返っていた。

 それでもところどころの路地で飲んだくれの黒人がほっつき歩いているのが見えた。車を運転しているほうののポリスが修一に「どこから来たのだ?」と聞くので「ジャパンのトウキョウだ」と答えると、 「自分も兵隊でヨコスカに居たことがあり、そこでエミーという日本の女性と知り合ったんだ」と人なつっこく話した。

 発音がエールトンの同僚アーリーに似ていて、この男も多分スペイン系だな、と修一は思った。

 車は深夜のマンハッタンを滑るように走っていき十分も経たないうちにイーストサイドの大きな病院の前に着いた。暗闇の中にうっすらと玄関の上のセントメモリアル病院と言う文字が見えていた。


 車が止まると大男の方が先に降りて病院の中に入っていき、 しばらくすると彼はタンカを持った白い服の二人の男性を引き連れて戻ってきた。

 間もなくエセルはタンカに乗せられて運ばれていった。それを見届けた二人のポリスは修一だけを残して去っていった。

 修一はタンカを追って玄関の方へ歩いていった。真夜中とはいえ、この巨大都市の緊急病院のロビーには多くの人の数があった。エセルが診察室に入った後、玄関のすぐ右手にある受付に呼ばれ付添者としての署名をさせられた。その後で受付の三十年配の痩せた男性事務員にエセルのことについて事情を聞かれたが、修一が日本から来て間もない単なる下宿人だと知ると、あまり突っ込んだ質問はせず、「患者の状態がわかるまで、しばらく待合室で待つように」と指示した。

 そう言われた以上修一としてもすぐ帰るわけにはいかず、仕方なく教えられた待合室へ入っていった。ベンチが四脚並べただけの殺風景なその部屋には子供を抱いた若い黒人女性が腕を揺すりながら子供を寝かしつけていた。

 そして一つ前のベンチには、いかにも眠たそうな顔をしたエセルより少しだけ若いと思える白人の男が所在無さげに座っていた。

 修一はその老人の横に座り「ハロー」と声をかけたが相手は目で少し笑っただけで口を動かさなかった。

 エセルはいったいどうなんだろう? まさかこのまま入院するのではないだろうな。そんなことを考えているうちに、ふいにドッと睡魔が押し寄せてきて、そのまま知らないうちにうつらうつらと眠ってしまった。

 どれくらい経ってか、誰かが肩を叩くのにハッと気付いて目を開けた。 すぐ前に若い黒人看護婦が立っており、エセルが修一の横に腰掛けていた。

 看護婦は修一に言った。「今日のところはなんとか発作も止まりました。よい注射を打ったのでしばらくは咳も出ないと思います。今回はとりあえず連れて帰ってください。でもこの次同じようなことがあったら、しばらく入院しなければならないでしょう。どうぞお気をつけて」 眠気眼の修一の目に黒い肌と見事なコントラストをなした白衣がまぶしかった。

 看護婦に礼を言った後、エセルに「だいじょうかい?」と聞くと、彼女は来る前とは違って今度はにっこりと笑顔を見せながらゆっくりと頷いた。

 エセルはなんとか歩けるようになっていたので、手だけ引いて出口の方へ向かった。外には病院が手配してくれたタクシーが待っていた。 二人とも何も喋らずその車に乗り込んだ。
 
アパートについたころには辺りは微かに白み始めとおり、マンハッタンの夜明けがボツボツ始まっていた。 (第3章 おわり)

(つづく)次回  8月2日(土)


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