2014年8月31日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第41回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第5章・7年ぶりの再会 (その6)



マンハッタン西97丁目 第5章 「7年ぶりの再会」 (その6) 

  世界広しといえども、ここニューヨークほどあらゆる国の料理がそろっているところは他にないだろう。ここはまさにエスニック料理のメッカと言ってもよく、人種のるつぼなるが所以である。

 こうしたインド料理の店だけでも市内に数十ヶ所もあるというから驚きである。修一と草山は艶やかな色のサリーで身を包んだ若いウェイトレスに案内されて奥まった場所のテーブル席についた。

 「草山さん、ぼくはインド料理についてほとんど知らないんです。おいしそうなものを適当に注文していただけませんか」 「そうか、じゃあこの前食べておいしいと思ったものでも注文しようか。そうだな、これとこれ」草山はウェイトレスに流暢な英語で注文した。

 ホテルの課長時代から、この人の英語力は群を抜いて上手だったが、それが長年のアメリカ暮らしでさらに磨きがかかり、そのアクセントも発音も、まさにネイティブスピーカー並であった。

 「草山さん、英語がずいぶんお上手ですね」 「そうかい、ぼくももう七年もこちらに居るからね。君だって現地人の間で働いているんだから、もう相当上達しただろう?」 「それがなかなか駄目なんですよ。まだ三分の一ぐらいは相手の言うことが理解できませんね。そうそう、ついこの前もそれで大恥をかいたんですよ。職場の友人が『プールへ行こう』と言うもんで、ぼくが『水着を持っていないから行けない』と言うと、その友人が笑いながら『お前なに言っているんだ。プールというのは玉突きのことだよ』って言うんですよ。ぼくはそんなことまったく知りませんでした」

 まだこんな程度ですから草山さんと比べれば横綱と幕下ぐらいの開きがありますよ。 「いやいやぼくだって来た当時はそうだったよ。まあ語学習得には恥をかくこともよくあるね。それだけ場数を踏まないといけないんだから」

 「ところで草山さん、先日の話の続きですが、二軒のレストランを閉めたあとはどうされたのですか?」 「ああその後ねえ」草山は手にしていたナイフとフォークを皿の上に戻しながら言った。

 「二軒の店が失敗に終わった後、はっきり言って、もう自分で経営するのはこりごりだと思ったね。たとえ給料が安くても人に使われている方が楽だ、というふうに考え方が変わってきたんだ。それであちこちと求職活動をした結果、キミ知ってるかなあ、五十二丁目にある炭焼きの焼き鳥を売り物にしている「将軍」っていう店。そこへ営業担当マネージャーとして就職したんだよ」

 「将軍ですか、確か名前は二~三度聞いたことがあります。で、今もそこへいらっしゃるんですか?」 「いや、今は二年前にそこが系列店としてオープンさせたイーストサイドの国連ビルの近くにある寿司バーの方へ回されてね、そこでチーフマネージャーをやっているんだよ」そう言いながら草山はポケットに手を入れ、店の名前が上部に大きく印刷された名刺を取り出して修一に渡した。

 修一はその名詞をしげしげと眺めながら尋ねた。「イーストサイドの国連の近くと言えば草山さん、この店ずいぶん高級なんでしょうね」 「さあどうかな、もっともお客の八割ぐらいは白人でね、日本人を含めてその他が二割というところで、客層はまあまあだがね」

 「そんなに白人客が多いのですか?」 「八割と言えば他の店に比べると多い方だね。でも大野くん、近頃では白人客が多いことだけを手離しで喜べないんだよ。客一人あたりの売り上げでは日本人商社マンあたりの方がうんと高いからね。要は客の構成の問題なんだ」草山のこの分析を聞いて修一は、なるほどな、と思った。

 「そうでしょうね。なにぶん日本人は世界一食費の高い本国で鍛えられているもんだから、食費のうんと安いこちらへ来ると、嬉しくなってつい使い方が派手に・・・」

 「うん、それもあるけど、もう一つは接待が多いことも大きいねえ、会社のお金ということと、相手に対するミエがあってね。でもねえ大野君」

 ここまで話した草山はなぜか急に深刻な表情になって修一を見た。

 「ぼくもこの歳になってレストランの雇われマネージャーをしていると思うと、つい情けなくなることがあるんだ。勤務は不規則だし、おまけに給料は安いし、それにお世辞にも社会的に地位が高いとは言えない職業だしね。でもぼくも今年でもう四十三歳、他にいい仕事も無いしねえ」 「おやおや草山さんらしくない弱音を吐いたりして、どうしたのですか?」

 修一は最初に会った日、別れたときの草山の後姿がなんとなく寂しげだったことを思い出していた。そしてあの寂しげな後姿は草山の人生における敗北感からきているのではないかと思った。

 「ところで大野くん、キミで今どれぐらい収入を得ているんだい?」草山は思わぬ方向へ話を転換させた。

 「ぼくですか、ぼくなんかまだ若造でたいしたことはありませんよ。でも日本ホテルから七百ドル、こちらのエールトンから貰う分が五百ドル、合計千二百ドルです」 「千二百ドルか、一ドル二百四十円として、約三十万円か、君の歳にしては立派な収入だよ。四十三歳の僕でさえ、今それだけあるかないかだからね」僕でさえそれだけあるかないか、と応えた草山のセリフには少し驚いた。彼の収入は思ったより少ないのだ。

 「まあ生活は日本から送ってくる分だけで十分のようですね。後の分は全部貯金してあります」 「そうか、羨ましいねえ、僕なんか家族四人で生活が一杯一杯でね」

 家族四人と聞いて、確か単身で来たはずの草山だったが、後に家族を呼び寄せたのだろう、と修一は思った。

 修一は聞かれたからとは言え、つまらぬことを喋ってしまったと後悔した。

 このことが草山にまた余分なコンプレックスを与えたのではないだろうか。別段特別に高い収入を得ているわけではないが、今の草山の前では収入の額は伏せておいた方がよかったのかもしれなかった。

(つづく)次回  9月3日(水)


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