マンハッタン西９７丁目 第４章 「すばらしき１週間」 （その３）
ここまで修一の話を聴いて、エセルが口を挟んだ。
「気の毒だけどその日本人も不注意ね。タクシーを降りるときドアマンに一言声をかけておくとか車のナンバーを覚えておくとかすればよかったのにね」
これを聞いたバーマも同調するように「そうよ、盗難の多いニューヨークに来たのなら、当然それくらいの注意はすべきよ」と、二人ともまるで災難に遭った日本人が悪いとでも言うような口調であった。
修一はさらにもう一つ別の事件について話を続けた。それは約三週間ほど前の、修一が非番の時に起こった事件である。チーフクラークのマックから後でその話を聴かされて知ったのだが、今度はエールトンの客室内で起こった日本人観光客の災難話である。
Ｙと言うその客は日本の関西地方からやってきた五十名ほどの団体客の中の一人であった。自由行動のその夜、彼は外へ出て街角で一人の女を拾いホテルの自分の部屋へつれてきた。白人のかなり見栄えする女で男はは前金で三百ドル払った。
女がゆっくりしてもいい、と言ったので彼はバーボンを抜いてグラスに注いだ。
英語がよくできなかった彼だが、酒の勢いも手伝ってか、しばらくの間は身振り手振りで楽しく語り合っていた。
ボトルのウィスキーが半分ぐらい減ってところで、いよいよだ、と思った彼は、その前にまず手洗いへ立った。
戻って来てからグラスに残ったウィスキーをグッと一気に飲み干した。
覚えていたのはそこまでで、気がついたときは朝だった。
昨夜一緒に飲んでいたはずの女はいなかった。何がなんだかさっぱり分からないまま部屋を見渡すと、閉めていたはずの入口ドアの横にあるクロゼットの扉が開いているのに気がついた。
「オヤッ、おかしいな！」そう思って近づいてみると、中のスーツケースが口を開け衣類が飛び出していた。慌ててスーツケースをクロゼットから取り出して中を探ってみた。パスポートとトラベラーズチェック、それに現金の入った皮のブリーフケースが無い。その中には奥さんから頼まれたダイヤの指輪を買うために前の日にキャッシャーでチェックを現金化した二千五百ドルが入っていたのだ。
動転した気持ちでベッドのサイドテーブルに目を移すと、確かにそこへ置いたはずのカメラも無い。 「やられた！」と彼は思った。でもそのときはまだ、まさか手洗いに行った際に、女がウィスキーの中に睡眠薬を入れたなどとはつゆほども思っていなかった。
彼は街で拾った女を自室に連れ込んだことを悔やみ、団体の他の人たちに知れるのを恥じた。でも現金やトラベラーズチェックはともかく、パスポートまで盗まれたとなれば、このアメリカを出国することもできない。そう思って仕方なく団体のリーダーに連絡し、その人に付き添われてアシスタントマネージャーのマッコイさんのところへ事故の報告にやってきたのだ。
昨夜からの顛末を詳しく聞かされたマッコイさんはその日本人に向かって躊躇することなく言った。「あなたはその女に睡眠薬を飲まされたのですよ」
はじめはよく意味の飲み込めなかった彼だが、リーダーから説明を受けた後、目を白黒させて驚いた。マッコイさんは続けた「ニューヨークで観光客が比較的よく引っかかるのがこのパターンです。特に日本人は多いですよ。年間を通じてこの種の事件は十件ぐらいありますが、そのうち半分は日本人が絡んでいますね」と、さも慣れっこになっているとでもいうふうに冷静に二人に説明した。
客が外部から連れ込んだ売春婦によって起こされた事故ということで、これもまたホテル側には何ら責任は無かった。 なにしろ二千もの客室を持つ大ホテルである。 起こる事件や事故も多いせいか、日ごろから責任の所在についてはっきりさせる習慣がついていた。
ここまで話し終えた修一はバーマに向かって言った。
「これもまた引っかかった日本人客が悪いと言いたいのだろう？」
「そうね、そういいたいところだけど、日本人に限らずスケベーな男が悪いのよ」
バーマのその言葉に修一は内心ドキッとした。ひょっとして自分もそう思われているのではないだろうか？
エセルが「それでその日本人いくらお金を盗られたの」と聞いた。
「ブリーフケースの二千五百ドルとスーツのポケットに入れたあった二百ドルの合計二千七百ドルだそうだよ」 「ふーん。二千七百ドルもねえ、観光客がそんなにお小遣いを持ってくるなんて日本人は本当にお金持ちなのねえ」
そう言いながらエセルはあきれ顔で「ホー」とため息をついていた。
そしてさらに「悲しいけど、ここニューヨークでは、人を見たら泥棒と思え、という精神で無ければ生活できないわね」と、今度は妙に深刻な表情をして言った。
修一は話し終えた後で、何もこんな日本人の恥になるようなことばかり喋るのではなかった、とあまり後味がよくなかったが、最後にバーマが「その点サミーはクレバーだからそんな事件に巻きもまれることはなさそうね」と言ってくれたので少しだけ気をよくした。
（つづく）次回 8月９日（土）
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