2014年9月7日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第44回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第6章「ヨンカーズ競馬場 」(その2)



マンハッタン西97丁目 第6章 ヨンカーズ競馬場 (その2)


 バスがハーレムリバーを少し過ぎたとき「大野さん、あれがシェイスタジアムですよ」と、山崎が窓の外を指差した。「ニューヨークには有名なヤンキースタジアムとこのシェイスタジアムがあるのです。ヤンキースタジアミへは一度行ったことがあるんですが、このシェイにはまだ一度も着ていません。大野さん、野球は好きですか? 今度いいカードがあるとき、ご一緒しませんか?」

 「ええ、まあ好きな方です。ぜひ誘ってください」そんな話をしながら修一と山崎は夕闇の迫った空の下の広々としたシェイ球場の外観をじっと眺めていた。バスはだんだんマンハッタンを離れていき、低い家並みのニューヨーク郊外へと入っていった。

 道路の両側の鬱蒼とした並木の奥には、広々とした邸宅が延々と続いている。
 その広くて堂々たる家々には、そのほとんどが敷地内にプールを備えているらしく、周囲を芝生に囲まれた中で、その水面に映った夕日がキラキラと輝いていた。

 家とはこういうものなのか、修一は日本のまだまだ貧弱な住宅事情を思い出しながら、思わず「うーん」と溜息を洩らしていた。

 バスがヨンカーズ競馬場へ着いたとき、すでに早春の太陽はすっかり沈んでおり、薄暗い夕闇の中にこうこうと競馬場の照明が浮かび上がっていた。

 「さあ大野さん着きましたよ」山崎は座席で「うーん」と言う声とともに、大きく背伸びをしてから先に立ち上がった。「案外遠いんですね。バスに乗ってからかれこれ一時間半ほど経っていますよ」そう言いながら修一も立ち上がって下車の準備をした。時計の針は七時少し前を差していた。

 「大野さん、やはりここまで来ると血が騒ぎますねえ。いつものことながらレース前のこの興奮はたまりませんよ」 「オヤオヤ、山崎さんも相当な勝負しなんですね」修一は笑いながら応えた。

 バスを下車した地点から五分ぐらい歩いて、二人は正面入場口へたどり着いた。十数人の行列に続いて中は入り、急傾斜の階段を上がり、中段より少し上の観覧席に空席を見つけると、二人はとりあえずとでもいう風にそこで腰を下ろした。

 「思ったより空いていますねえ山崎さん」 席へ着くや否や、グルッと辺りを見渡したあとで修一が言った。「日本と違って、こちらはウィークデイの開催ですから、まあこんなもんでしょう。これが金曜日あたりになると、もっと混むんですがね」

 観覧席も、下の方はさすがに満席に近かったが、上へ行くほど空席が目立ち、二人が陣取った中段あたりでも三割ぐらい空席があった。日本の競馬場のあのむせかえるような人ごみはここには無かった。

 「ああ次は第三レースですね」正面に見える電光掲示板に目をやりながら山崎が言った。 「この前は今日より一時間ばかり早く来ましてね。それで一レースと二レースの一着馬を当てるデイリーダブルという馬券を見事的中させたんですよ。

 一レースで一着になったインディアンアローという馬は三番人気でそこそこ力があったのですが、二レースの一着馬がまったくの穴馬でしてね。キングジミーという名前だったと思いますが、ぼくはこの馬に、たまたま人気ジョッキーのフィリオンが騎乗するということで買ったまでなのですよ。

 そうしたところ、第四コーナーを回るところまではまだ四~五番手で、やっぱり駄目かな、と思っていたのですが、ゴール前に来るや否や一気に先を走る三~四頭の馬をごぼう抜きにして、終わってみると十二頭中十番人気のその馬が、なんと一着になっていたんですよ。ぼくはそのとき日本語で「やった」と大声で叫び、思わず飛び上がりましたよ。

 でもまさか配当金が三千四百ドルもつくとは思っても見なかったですよ。キングジミーという馬もさることながら、そのときのぼくには騎手のフィリオンが丸で神様のように思えましたよ」 山崎は息つく暇も無いようにそう言いながら、そのときの興奮を思い出したのか、喜々と顔色を輝かせていた。

 「それで、そのフィリオンという騎手、今日も出るんですか」 「もちろん出ますすよ。ほらここを見て、四レースと五レース、それに七レースと八レース」

 手にした新聞の出走表を修一に示しながら山崎は得意気に応えた。
 「あっそうだ。大野さんは初めてのことだし、馬より騎手を重視して買ってみてはいかがですか? ほらここにジョッキーの今期の成績ランキングが載っているでしょう。一位がフィリオンで二位がウィルソン、それから三位がカールで・・・」

 「そうですね。山崎さんも先週それで当てたのだから、ぼくも今日はそれでやってみましょう」 修一は深く考えることもなく、山崎の提案したその方法を採ることにした。

 第三レースには山崎だけがウィンと呼ばれるレースの一着馬だけを当てる単勝馬券に二十ドル賭けた。

 結果はゴール前でもう一歩及ばずの頭差の二着。馬群が第四コーナーを回ったところで、山崎は立ち上がって両手を振りかざしながら大声で馬の名前を叫んで声援をおくっていたが、もう一歩のところで及ばず、惜しくも二着になったことを知ると、「あーあ!」と大きな溜息をつきながら、ドカッと椅子に腰を下ろした。 

「残念! もう少しだったんだけどなあ。今日は前のときのように最初からうまくはいきませんよ。よし次のレースこそ!」 山崎はそう言うと、また予想紙とにらめっこを始めていた。普段はいたって冷静な山崎だが、こういう場面ではずいぶん熱くになるものだ、と修一は彼の持つもう一つの違う面を見た思いがした。

 修一自身だと、たとえ馬券を買っていたにせよ、彼のように大声を上げて感情むき出しの声援など決してできないに違いない、と思った。

(つづく)次回  9月10日(水)


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